第55回 英語教育についてちょっと力説
今日は妻が人と会うため、一時的に支援センターに預けられた娘ですが、妻の心配をよそに機嫌は良かったようです。
それでも自分が知らない間に、妻に置き去りにされたため、それ以後用心して妻から離れなくなりました。
最近はわたしをちゃんと認識しだしたようで、仕事が終わってリビングに顔をだすと、アイコンタクトのうえで笑ってくれます。
今日は仕事の後リビングにいくと、妻との間で英語教育の話になりました。
妻はわたしに家で娘に英語で話しかけたらというのですが、それはできません。
英語はわたしにとって借り物の言葉です。普段、英語で思考しているわけではありませんし、最愛の娘に話す言葉を借り物で済ますなんて考えられません。
そんなことを考えるのはある意味、病んでいます。
大事なことは母国語で考える力をつけることですし、第二言語はいわばツールです。
ツールは必要に応じて使えればいいのです。ネイティブレベルにならなければというのは強迫観念です。
環境に恵まれて自然にネイティブな英語が習得できるのであればそれはラッキーなことで、ただそれだけのことです。
また、子供をしかるにしても褒めるにしても、心から出た言葉でなければ、相手には伝わらないと思います。
第二言語を含意まで正確に理解して使いこなすのは至難の技ですが、ツールと割り切ればすみます。発音も同様です。
ペラペラ喋ることより、喋る内容が大事なのです。
わたしも、アメリカで下手くそな英語をさんざん馬鹿にされましたが、心ある人は下手な英語を笑ったりはしません。
ただ、子供が相手のときはだめでした。子供は発音に対する許容範囲が狭いので、ほとんど通じなかった記憶があります。
娘もお友達の○○ちゃんが英語で喋らない限り、早期に英語を覚えることはないでしょう。
それでいいと思います。
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