2023の徳島と日本サッカー④
代表の位置づけとは
ここからは代表チームについて触れていきたい。
代表チームは一番の広告塔としてその内容と結果でサッカーの魅力を発信し普及面で貢献することを大きな目的の一つとして各大会に臨んでいるのではないかと考えているのだが、
最近の代表チームの活動については選手の頑張りに驚かされる反面、その周囲のスタッフに留まらないJFAの組織としての目的・目標に疑問を感じてしまっている。
東京五輪の影響力
このことについて最近で一番強く感じたのは東京五輪前後の時期である。
世界的に見ると五輪はサッカーW杯よりのべ観戦者数が少なくW杯を重視する流れではあるが、日本は果たしてそれでいいのだろうか?
サッカーに対する関心度がまだヨーロッパや南米の大半の国に比べると低いなか、そのような層に見てもらえる一番の機会として普及に向けて他の一流国よりも力を入れるべきではないか?
普段から○○は見ます?でも五輪だと○○も見ませんか?特にメダルが賭かると。
そしてメダルを取ってくれたら嬉しくないですか?
なんならその後選手が出演するバラエティ番組を見たりしません?後日談の本まで買っちゃったり。
子供に何かスポーツをさせたいな…という時に候補には上がりませんか?
…僕は全てあるのですが。
様々な普及活動があるかと思います。
どんなに素晴らしい、便利なものでも知られなければなんの意味もありません。
そのようななか今回は滅多にない地元開催でもありました。労せずとも注目度は上がります。
更にサッカーの一流国のなかには選手の所属クラブでの活動を止めてまで五輪に招集するまでの理由が無くベストの布陣が揃わない国もあり、それは今回も例外ではありませんでした(フランスとか…ヨーロッパは顕著なはず。このあたりはたぶんFIFAの策略もありますね)
これから何度と訪れることのないくらいの機会だったと考えているのです。
五輪代表の戦い
その五輪に対して協会は、日本代表はどのような目的をもって目標を定めていたのか。
日本サッカーの発展に向けた大きな機会としてメダル獲得を目標に今までに無いくらいの努力をしなければならなかったのではないか。
しかしそのようには初戦から早速感じられませんでした。
森保体制立ち上げ後の初めての公式戦であるアジアカップ決勝のカタール戦で問題となった前線からの守備のアンバランスさがこの東京五輪までも繰り返されたからです。
追加招集された林選手が初戦からスタメンなのも微妙でしたが、彼がその南アフリカ戦で相手DF3人のボール回しに一人で走り回り食らいつく姿が何度も見られました。
その様子をみて早々に、その後の結果はともかくチームとしての取り組みは失敗、個を活かすチームは期待できず後は○○頼む!という個人の活躍や頑張りに賭ける気持ちになってしまいました。
サッカーは攻守が入れ替わるスポーツのなか、
奪う場所はその後の攻撃のやり方に影響する
攻撃面を強化しても奪えなければその機会は来ない
対してミスのスポーツであるサッカーではどんな相手でも守備機会はある一定数訪れる
日本は個で一番優れている訳ではないので、個人の感性に委ねる範囲よりチームとして組織的に戦う範囲を広くしないとメダル獲得は難しい
メダルを賭けた試合では守備の時間が長くなることが予想できる
よって少ない攻撃の機会を最大限のチャンスにするためにもまず奪う場所を決め、そこからどう攻めるかまで設定すべき
短期決戦の大会のなか、個々の消耗は避けたい
全体の守備を決めるなかでまずそれが現れるのは前線の高さと立ち位置
それが決まるからその後を含めて連動した守備が可能となる
以上の理由から、守備の着手修正は一番初めにやるべきで、そのなかでもまずその取り組みが見えるのが前線の守備だと考えていました。
かつそれはアジアカップから既に露呈している課題…
そこにすら改善が見られない状況からはその他含めてチームとしての連携には期待できないと感じたのです。
その後も予想通り印象が覆ることはありませんでした。
個の頑張りと初期配置に助けられメキシコに、一軍とは言えない格下となったフランスに勝利するも
個で勝るはずのニュージーランドには南アフリカ戦の再現となり初期配置のズレを修正できずチグハグは戦いから辛くもPK勝ち
スペイン戦は相手が固定化した戦いをしてくれたこともありまたそれが噛み合う部分が多く粘れるも、そもそも個で苦しいなか組織でプラスをもたらせないので何も起こせず粘るしかなく、
メキシコとの再戦では再現性ない攻撃で2連勝できるほど力の差はないなか、分析変更してきた相手にリベンジされる。
大会を通じて個を生かした組織的な強さは見られず、届く可能性があったメダルに対して策のなさを露呈した印象があるのです。
なぜそうなったのか
前線の守備配置すら進まないまま本番を迎えたのは、迎えさせたのは何故なのか。
問題点に気づけなかった?
…これは考えにくい。この問題は色々なメディアで取り上げられていたはず。
このままでもいけるという判断?
…五輪に本気で臨むならこのような明確な問題を知っていて長期間放置するだろうか。
他の要素の向上を優先した?
…もしそうならこれまでに記した理由から優先順位の付け方に問題があると考える。
修正しようと試みたが間に合わなかった?
…直近のものでなくアジアカップから何年も経っているなか修正が間に合わないまま本番と捉える場に臨ませたのならスタッフの能力の限界と協会の判断ミスだろう。
五輪をある意味練習・テストの機会として捉えていた?
…これまでに記した理由からそうだとしたら協会の目標設定ミスではないか。
ただ問題の修正方法が時間のかかるものであったり、それが五輪を捨ててでも価値のあるものとして次に繋がる算段があるのなら?
決して成功とは言えない五輪を経て既定路線であるかのように体制がW杯まで続投したなか、
特に最後の疑問の答えにまだ期待を捨てきれずに五輪後も引き続き彼らを見守った。
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