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なぜ私はドンブラザーズに「現実と虚構」を感じるのか

現在6話までの放送のドンブラザーズ

 毎週日曜朝9時半からテレビ朝日系で放送している「暴太郎戦隊ドンブラザーズ」。現在6話まで放送がされている。以前のnoteでも述べたが、私は今回のスーパー戦隊にはとても期待をしていた。第1話がとても内容がよかったこともあり、それから毎週欠かさず観ている。仕事の関係上、録画して観ているのだが、最近違和感を感じ始めている。
 たしかにスーパー戦隊として人間がヒーローに変身して、敵の怪人を倒すというフォーマットは従来のものと同じだ。そこにアバターチェンジという過去作戦士への二段変身、アルターチェンジという過去作のロボとの合体などでサービスをしながら、敵の組織と戦っていく。
 しかし作品内で感じられるのは、「虚構」なのである。

演出から感じる「虚構」

 今回は制作陣が「革新的な作品を目指す」ということで、様々な挑戦がなされている。これまでの戦隊は、敵怪人がでるとそこに全員が向かい、その場で変身するというスタイルを貫いてきた。しかしドンブラザーズは、別にその場にいなくても良く、各々変身して敵のところに集合する。そして倒したらもとの場所に帰るだけなのだ。結局お互い変身者が誰なのか知らないまま戦いは続いていく。これが「アバターチェンジ」だ。
 我々視聴者は、変身している姿を見ているから、誰が何に変身しているかはわかるのだが、それも正直怪しい。「もしかしたら別の人が変身しているのかも」という疑惑は常に拭えない演出がなされている。この戦いは「虚構」なのではないか、と考えてしまうのだ。

アバターチェンジは現代のリモート社会の隠喩である

 誰が変身しているかはわからないけれど、この黄色い角が生えた女の子の声をしているのはオニシスターで、一緒に戦う仲間だ。本人はそこにはいないけど、「虚構」の世界で会える仲間だ。
 誰が操作しているかはわからないけれど、このアバターと名前から察するに一緒にオンラインゲームをプレイしているやつで、一緒に戦う仲間だ。本人はそこにはいないけど、「ネットの海」の世界で会える仲間だ。
 私達は常に現実とネットという虚構を行き来する生活を送っている。それが良いことなのか、悪いことなのか。どう判断したら良いのか。はたまたどう解釈したら良いのか。「暴太郎戦隊ドンブラザーズ」は、子ども向け番組の体をとりながら、我々にそれを教えてくれるのではないだろうか。

 今後も目が離せない。

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