春の夜の夢-下-

 夕子さんは木箱を開けた。中には綺麗な掛け軸が入っていた。

「これ、私が作ったの。なかなかいいでしょ」

夕子さんは床の間に掛け軸をするする掛けながら言った。彼女が言うように掛け軸は立派なものだった。しかし、奇妙なことに掛け軸には絵が描かれていない。不思議に思って尋ねると夕子さんは「これからその意味がわかる」としか教えてくれなかった。

夕子さんは部屋の縁側に続く引き戸を少しだけ開け行灯の蝋燭に火を点けて電気を消した。それから部屋の隅に行くように言った。どういうことか聞こうとしたが彼女は人差し指を口に当てて静かにするようにジェスチャーした。私は頷き夜に揺らめく行灯の火を眺めた。私のすぐ隣には夕子さんがいて妙にドキドキした。

開けた戸から桜の花びらがちらちらと部屋に入る。なんとも幻想的で見入っていると狐が2匹部屋に入りじゃれ始めた。何だろうと思いその光景を息を飲んで見ていると1匹の狐が火を吹いた。私は思わず声を上げそうになったが必死に堪えた。2匹の狐は交互に火を吹きじゃれている。なんなんだ一体これは!暑くもないのに額から汗が噴き出す。夕子さんを見ようとしたが体が固まって動かない。そうこうするうちに狐は夕子さんが作った掛け軸に吸い込まれていった。それを見届けると夕子さんは立ち上がり掛け軸をするすると巻き出した。

「な、な、なんだったんですか?今のは」

「金沢には古い家が多いでしょ?古い家は居心地がいいからモノノケが住みつくことがあるんだ。で、いろいろ悪さするから昔から私の家が代々こうして掛け軸とかにモノノケを封印しているの」

そんなことが本当にあるのだろうか。いや、でも今実際に私はその光景を目撃してしまった。だから本当にあるのだ。信じられなくても信じるしかない。

春の夜はどこか仄暗くそれでいて美しい。夕子さんと歩きながらぼんやり月を眺めた。月は随分と細い三日月だった。私の頭の中は今日の出来事を処理できずにいたが処理する必要なんてない気がした。この世には理解の外にある摩訶不思議なことが恐らく沢山あるのだ。どこからか桜の花びらが風に乗って舞っている。日中でもその様は美しいに違いないが夜、電灯の光を浴びた花びらはより一層美しかった。こんな素敵な夜なら夕子さんに打ち明けることが出来る気がした。

「夕子さん…」

返事が無い。おかしいと思い隣にいるはずの彼女を探す。しかし、彼女はいない。焦って周りを見渡すが彼女はどこにもいない。文字通り消えてしまったのだ。私は呆然と立ち尽くし虚空を舞う花びらを眺めた。

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