短夜

この街の本当の美しさはね…

私は金沢の赤坂にある古い喫茶店でアルバイトをしている。お客さんは馴染みのある人ばかりで新規のお客はほとんど来ない。なので皆気心が知れた人ばかりだった。今日のお客さんは須加さんという定年退職したばかりのおじさん1人だけだった。須加さんはここ最近毎日店へやって来て日がな一日店長と世間話をしていて、そこに私も入れてもらっている。須加さんはいろいろな話に精通していた。

「ああ、そういえば今日は夏至だね」店長が何気なく呟いて私もようやく気付いた。日々それなりに忙しく過ごしているとそんなことは頭の片隅にもこびりつかない。

「そうだよ。今日はつまらん一日だ」

須加さんがそうぼやくので不思議に思い「何故です?」と尋ねた。

「美しくないんだよ」

「何がです?」

「街がさ。日差しを浴びて膨張した金沢なんて美しくないよ」

そんなもんですかねぇと言うと須加さんが「金沢の美しさを知るには2通りの方法がある。1つは雨の日。雨は金沢を象徴する事象だからね。嘘だと思うなら雨の日にバスに乗って駅まで行けばいい。途中の街の風景が実に美しいからね」と言った。

「あ、それはわかるかもしれないです」

「もう1つは夕暮れから夜にかけてだ。夕闇が数百年の時間を吐き出して街を染めていくんだ。ま、金沢に長く住めばこの意味がわかるようになるよ」

須加さんは立ち上がりお代を置いてまた明日来ると言って店を出て行った。店長に須加さんの言ったことわかるか尋ねるとフフフ…と笑い教えてくれなかった。

アルバイトが終わり店を出ると外はまだ明るかった。なるほどやはり夏至だ。自宅までトボトボと歩くと違和感に気付いた。時間が妙に間延びしている。あるべき所にあるべきものが存在しない。なんだこれは。今、私はどこへ行こうとしているんだろうか。歩いているのか座っているのかそれとも浮遊しているのかわからない。私は目を閉じ夜が訪れるのをじっと待った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?