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11.紙もの、『街並み』 長野ゲストハウスヘルパー体験記

2021年6月28日 午前9時半。ゲストの小学2年生の女の子と一緒にラウンジで遊ぶ。ジェンガを取り出そうとかがみ込むと、小冊子が目に入る。

 “紙もの”をみなさんどう思ったり扱ったりしているだろうか。紙ものというのは、一般的に紙でできた封筒やメモ帳や、ポストカード等を意味するのかなと思うのだが、10年程前に勤めていたところでは、リーフレット、パンフレットのような小冊子、何ページもあるような冊子のことも総称して紙ものと言っていた。
 お恥ずかしい話だが、わたしはこの紙ものの良さが当時全く分からなかった。もらってもどっかに行ってしまうし、字がたくさん書いてあってもちゃんと読むことなんてないし…。だから、以前の職場でスタッフが総出で丁寧に、レイアウト、デザイン、記事内容、配布や販売方法等もろもろ考えて、時間をかけまくってひとつの紙ものをつくることに衝撃を受けた。残らないのに、ちゃんと読まないのに何で?と。

 先日、宿のラウンジで『街並み』という小さな冊子を偶然見つけた。なんとなく気になり、パラパラとめくってみる。中には長野市の街の風景、住んでいる人々の何気ない生活の様子を収めた写真が多数掲載されており、巻末には街の文化等が手書きの新聞のようなかたちで紹介されていた。
 うまく理由は説明できないが、心の琴線に触れて全く目が離せなくなった。複数の号が発行されており毎号特定の地区を特集しているようだ。これは…これはわたしもつくってみたいかも。今住んでいる、岩手県奥州市水沢の風景を同じように切り取ってみたら面白いんじゃないか、その“今”の風景を未来に残して、その時の感覚で見てみたいと、なんだか知らないが熱い気持ちになった。

 現在住んでいる岩手県奥州市水沢は、ものすごく個人的な見解だが長野市1166バックパッカーズ界隈に似ている。そりゃあ人口規模が違うので(長野市:約37万人、奥州市:約11万人)、お店の数等は全然違うのだが、でも街を構成するエキスみたいなものが似ている気がする。
 まず長野市の善光寺は、水沢の日高神社みたいな感じだし、善光寺周辺地区、門前(もんぜん)の瓦屋根等の和風な風景は、日高神社界隈の吉小路、新小路、日高小路、田小路周辺の風情と通ずるものがある。宿のほど近くの権堂商店街は、水沢駅通り商店街と、小さな飲み屋さんやスナックが多い感じが似ている。また、昔ながらの喫茶店や蔵を改装したお店、古い建物をリノベーションしたカフェ等は長野でも水沢でもある。長野市の周辺には工芸品がたくさんあるが、水沢の隣町、江刺にも南部鉄器の工房が立ち並んでいる。そんなところに共通点を感じたのだ。
 何より、長野でも水沢でも住んでいる人々が、自然体で人間味がある感じで、わたしはそんな人々が作り出す、双方の街の雰囲気がとても好きだ。

 ラウンジで見つけた『街並み』には、飾らない、生活者が普段目にしているであろう風景が掲載されている。街の雰囲気が似ている水沢でももしかしたらこんな風景が撮れるんじゃないか、と写真はスマホでしか撮ったことないけど、思った。そして調べてみると『街並み』の発行は2005年から始まり、最新号の発行は2015年。わたしが見ていた号は2011年発行だ。

 紙ものなんて残らないのに作る意味あるの?と20代前半当時思っていたが、紙ものだからこそ置かれて残って、数年後にこうやって偶然見た人を熱い気持ちにさせているんだなと感じる(もちろん媒体以前に内容がすばらしいからというのは大前提だ)。写真や原稿はデータでどこかにあるのかもしれないが、わたしはそれを見る術はない。紙ものはすごい。

 奥州市水沢に住んで1ヶ月で長野市に来た。そして間もなく長野市での滞在も1ヶ月になる。そんなわたしが長野と岩手に共通点を見出すこと、『街並み』という紙ものを発見してしまうこと、これに意味があるのか分からないが、岩手に帰って、もし一緒につくってくれそうな仲間が出来たら提案してみようかな、なんて思ってみないこともない。

(長野の方も水沢の方も、ごめんなさい。たった1ヶ月の滞在・居住で、歴史的経緯等踏まえずに表面的な印象を語ってしまいました。神社仏閣、商店街、蔵、リノベーション、伝統工芸品は他の街でも大体同じ、と思う方もいると思います。上記個人的な見解です。)


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