父
実の父があまり好きではない。私の父親との記憶は私が中学校に上がる直前から10年間途絶えている。その間女系家族で育った。何も問題なく、健やかに、祖母と母と姉から、愛された(母からしたら大変な日々だったかもしれないが、私の目からはいつでも理想の母だった)。その後大人になり再会をしたりするのだが、それはまた別の話。
前記事で私は料理をつくるのがあまり得意ではないと書いた。だが年に数回、自分のためにひとりで自分の中で食べたいと思ったものを作ろうとする日もある。大概は鍋とか、肉じゃがとか、ハンバーグとか、周囲からしたら簡単な料理ではあるが。生春巻きのときもあったな。
料理は得意ではないし、おいしいものを追求する心ももともとそんなに持ち合わせてはいない。
しかし、それとは別のベクトルで、実は、私は今でも怖くてほとんど人に料理をふるまえない。自分で食べるのは良いのだが。
ショックだったことというのは時間が解決してくれる場合もあるし、大人になっても取り憑いて離れてくれない場合もある。
こんなに普通に10年以上暮らしているのに、今でも尚料理をするときだけ、緊張に体が包まれてしまうというのは、ばかばかしくもあり、深刻なことだなあと思う。
父の記憶
私にある小学生までの父の性格の記憶は、「怒りのスイッチが分からない」である。
もともと気難しい人で、あまりふざけることもしないため、我が家にはツッコミというものは存在せず、ユーモアに欠ける家庭だったと思う。父にとって何か気に入らないことを言うといきなり怒るから怖くて、でも何が原因か分からないから、話しかけるのをいつからか躊躇うようになった。
そのくせ父から自虐的にふざけた様子で話しかけてくることがたまにあり、このときが本当に嫌だった。何を答えたら正解で、何を答えたら父のプライドが傷ついて大きい声を出されるのか、必死に考えていた。
暗くなるので父のいいところをちょっとずつあげておこう。海外(特に東南アジア)が好きで、若い頃はアジアを放浪したり、今は旅行をしたりしている(らしい)。現地についてとても詳しく、語学も堪能みたい。好奇心旺盛な母は、父と旅行に行く度、アジアの観光地でなく、ひとつ路地に入って現地の人々が送る暮らしを見せてくれる父の姿に憧れたそうだ。
それは良いとして、父は自分の機嫌のコントロールがとても苦手な人だった。どちらかと言えば不機嫌で人をコントロールするタイプだった。母や姉は気が強くものを言い返したりするが、一番下の私はとにかく気が弱く、父の機嫌が悪いときに父に言い返したことは一度もない。いつも怯えていた。
あるとき、家庭科の授業で家族に料理をふるまおう、という宿題が出された。夏休みの課題だった。私はたしか小学校4年生で、この年齢でできる範囲でいいから、簡単でいいから自分で料理を決めて、つくり、食卓に出すのが宿題だった。
私は学校の図書室に行って、料理をたくさん探して、パスタをつくることに決めた。味付けは塩とオリーブの優しいものだった。母に相談しながら作って、小学生なりにつくったパスタを、ドキドキしながら夕飯の食卓に並べた。
このときに父が、嘘でもおいしい!と言ってくれたら、今こんなに苦しまなくて済んだのになあと思ってしまうことがある。父は、その料理を食べて、無言になり、味が薄くないか?と笑い、今日の夕食のメインの味が薄いことに苛々し始めた。
娘がはじめてつくってくれたパスタが薄かった。ここで普通の父親ができることなんて、おいしいふりをするか、気持ちが嬉しいんだよ、と伝えるか、軽いフォローとアドバイスを入れることくらいではなかったろうか。父は、どうしたらいいのか分からなかったのか、私の顔は見ず、母に作り直しを求めた。
母はきっと作り直さなかったんだと思う。おいしいよと言って「私の」料理を肯定した。
そして父は、それで機嫌を損ねてしまった。
父はこどもとの関わり方が分からなかったのかもしれない。私は目の前で押し問答をする2人を眺めていた。父が、お前がちゃんとおいしくなるように作らせなかったのが悪いと言っていた。母は私が宿題にならなかったら困ると思い、本のレシピ通りに分量の調節を手伝ってくれた。小さじ2杯と書いてあったら、小さじ2杯のやり方を教えてくれた。
自分が作った料理がおいしくないことで、食卓の空気が最悪なものになり、大好きな母が怒られているのを見て、子供ながらに責任を感じた。
静かに席を立って、トイレのドアを閉めて、メソメソ泣いた。父がやってきて私に出てくるようにいい、母には入ってくるなよと言い残して、私を父の部屋に入れて床に座らせた。
その後も最悪だった。父はいかに母のやり方が悪かったか私に説明を始めた。お前は悪くないからもう泣くのはやめろ、悪いのはちゃんと料理を教えなかったママだと言った。それに一緒になってうんと答えないとこの部屋から出してもらえらないと思うと悲しくて、もっと泣いた。もしも首を横に振ったら父が怒鳴るのではないかと思った。一対一で、自分の部屋で子供を拘束する父親なんて最低だし、嫌いだ。でも、母が私を絶対に悪く言わなかったのに対して、怯えてうんうんと頷きながら泣くことしかできなかったあのときの自分は、もっと嫌いだ。
母は強し、入ってくるなよと言われたのも構わず、その後すぐ入ってきて、父に怒鳴られたが、私と席を代わった。私は外に出されて、ドアの奥では、2つの怒声がぶつかり合っていた。
今でもこの日のことを思い出すと、どうすればよかったんだろうという思いと、でもどうすることもできなかったなあという思いと、母への申し訳なさがたちまち上ってくる。父への怒りはない。父のことはもうただ、なんであんな人なんだろうと思うだけだ。理解ができなくて、怖い。学んでしまったのは、人に料理をつくると、嫌な顔をされることがあるということだ。考え方が偏っているのは分かるが、とにかく、私はこの日から進んで人に料理をふるまうことができなくなってしまった。
大人になった今
今朝、母の準備が忙しそうだったので、自分に簡単にハムエッグを作るついでに、母にもつくった方がいいんじゃないかと思った。たぶん普通の人からしたら当たり前だろうが、私にはすごく勇気のいることだった。
私は、今でもあのときの記憶に振り回されている。
「ハムエッグ作るけど、食べる?」
が言えないのだ。「食べてね」と言える人が羨ましい。「おいしい?」と聞ける人なんて、もっと羨ましいけど、それが普通なんだよなとあとからいつも付け足して思う。
いつも声をかけるときは、すごく気まずい思いで、声をかける。いらないって言われたらどうしよう、と思って、「いらないならあとでお姉にあげるけど」と保険をかけた。
母は食べると言って完食して、仕事に出かけていった。数分のできごとだったが、どっと疲れた。感情の動きとは裏腹に、本当に当たり前であっけなくて普通の時間だと思った。
日々こんなことでつまずいているのだ。数分のできごとにまだ心を揺らされて、現時点で3000字の文章を書いてしまうくらいには。
かつての彼氏にご飯をつくるということは何度かあったが、いつも何を言われても平気なように身構えて、そっけなくつくることしかできなかった。かろうじて、メニューとレシピが決まっていると「レシピ通りに作った」という事実で気持ちが安定した。
勿論、彼女の料理を食べて「おいしくない」と言う男なんていなかった。どんなものでもおいしいと言って食べてくれた。これが普通なんだけど、いつも半信半疑だった。
ちなみにチョコレートも、いつも買いチョコだった。絶対においしい高いものを買って、あげた。一度だけ、作って欲しいと言われたから母と作ったことのある手作りチョコを作ったら、あり得ないくらい喜んで、世界で一番おいしいと言ってくれた。それだけは嬉しかった。
当時の彼は甘いものが好きではなかったので、世界で一番おいしいと舌で感じることはないと分かっていたからだ。
それは彼の気持ちからでた言葉だから、ということかと思うかもしれないが、(もちろんそれもあるが)いろんなことがもう歪んでしまっていて、そのひとにとってそこまでおいしくないと完全に分かっているものをあげるときだけ、安心するのだ。
好きな食べものをあげるとなると、「好きだけど、私がつくったからおいしくないかもしれない」という揺らぎが不安の要素のひとつになってしまう。それがないからだ。
好きではないものは「誰がつくってもおいしくない」。答えがひとつだから、揺らがないのだ。彼にとってチョコレートは全て、いつ食べてもどんな状況でも、そこまでおいしくないから、平気だ。私がつくったからおいしくないのではないのだ。おいしくない原因は素材とその人との相性にあって、私の腕の見せどころというプレッシャーから逃れられているのだ。
父が私に残したもの
悲しいことは、本当に悲しかったとき、時を10年超えても残り続けるんだなあと思う。すごいなあ。私は今でも同じ空間で大きな声を出す男の人が怖い。自分が怒られているわけではないのに泣きだしたりして、周囲に不思議がられたこともある。まあ大きな音も元々きらいだから、性格もあると思うけど。
そのせいで静かに話す人にばかり寄って行ってしまう。無意識下で父のような人を避けているのか、はたまた見る目がいいのか、ものすごく優しい人としか付き合ったことがないので、そこだけは感謝すべき点かもしれない。
今でも料理を人に食べてもらうシチュエーションは大の苦手だ。ちなみに昔は人に焼肉も焼けなかった(ゆっくりしていると焼かれてしまうのもあるけど、焼きたくない気持ちもかなりある)。歪んでしまったこの気持ちを変えるのに今でも手こずっているわけだけど、どん底からプラマイだと若干マイナスくらいには成功体験を積んできている。少しずつ。
私だって、おいしいと思ってもらえるものをつくって人に笑顔になってもらいたいという気持ちはもちろんあるのだ。だって、好きだから料理を提供するのに、その人が嫌いなものしか安心して提供できないなんて、さすがに皮肉だ。
人に食事を与えるという行為
これが反動してか、私は料理が得意な人や、料理を「食べてね」と言ってくれる人が大好きだ。
大学時代に私の分もつくってきてあげるねと言って、お弁当を作ってきてくれた女友達がいた。お弁当自体がおいしかったのはもちろんだが、そのお弁当には小さなお品書きが入っていて、私はなぜかそれにすごく感動してしまって、ずっと捨てられず、電子レンジの側面に紙の四つ角を貼り付けて卒業まで過ごした。
生きるために必要な栄養を、工夫を込めて人に与えるという行為がどれだけ尊いか。その人を1日、自分の手で生かすということなのだ。ものを買ってもらうより、愛を感じた。わたしもそれができる人になりたいのだ。
料理初心者の女児・男児諸君には是非、家庭科の宿題で料理をふるまうときは味の濃いめのものを選ぶことをお薦めする。素パスタみたいなのをつくると喧嘩とトラウマのもとになるみたい。でも良いパパだったら大丈夫だと思う。君のつくった味のしないパスタが、世界で一番おいしいよって言ってもらえるといいなと思う。そしたらそれをずっと覚えていて、大学時代のあの子みたいに皆においしいものを与えられる人になる。
小学校に上がる前に、よくひとりで縁側に腰掛けて、画用紙に指で好きなだけ絵の具を広げて、模様を書いていた。父がそれを見つけ、絵の具の無駄遣いをしているなといったような声色で、お前なにやってるんだと近づいてきて、どきっとしたことがある。でもそのときの父は、その絵の具の広がりをみて、ふっと顔を変えて、なんだ、綺麗じゃないかと言ったのだ。私はそれだけを覚えている。父の好きなところがあるとしたらそれだけだ。でもずっと覚えていると思う。
今日のうた
愛言葉-荒谷翔大
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