危ないところだった。

(1)

今日またnoteを書き忘れるところでした。日付が変わっていないのでギリギリセーフ。といっても、ここ丸5日間も家から出ていないので、大したネタがありません(え、読書?『嵐が丘』が読み終わったら書きます)。

ところで、タイトルの「危ないところだった。」で懐かしいと思う人ってどれくらいいるのでしょうか。このフレーズは中島敦「山月記」の一節から採りました。採ったというか、「危ないところだった」と思う時にいつも出てくるんですよね。

(2)

こんなふうに文学作品から言い回しとか語彙とかを知る(というか学ぶ?)ことって結構多いと思います。特に国語の教科書に載っている作品はクラス単位、あるいは歳をとってからも皆が知っていたりします。

有名そうな例を挙げてみます。(うろ覚えなので間違っていたらすみません)

・精神的に向上心のないものは馬鹿だ。(夏目漱石「こころ」)

・そうか、そうか、つまりきみはそんなやつなんだな。(ヘルマン・ヘッセ「少年の日の思い出」)

・ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは(新美南吉「ごんぎつね」)

他にも多分探せば見つかると思うのですが、今思いついたのはこんなところです。知っているものがあった人も多いのではないでしょうか。ちなみにこういう話題になると世代がバレる、或いは大学生だと浪人がバレるといったこともあります。

(3)

さて、こういった有名なフレーズについて考えていると、古典の教養にちょっと似ているなぁと思います。例えば中古文学(平安文学)を読むと、「古今和歌集」の歌や有名な仏典の一節を知っているのを前提に書かれていることがあります。こういうのって身内ネタとしても面白いというのもあるし、また皆の頭に残るというのはそれほどのものだということもあると思います。平安の雅に憧れた身としては、皆で「古今和歌集」など有名な作品を覚えて雅な文化サロンを形成してみたいという気持ちがあるのですが、なかなか上手くいきません。まず自分が覚えるのも大変ですし、周りの人が覚えるのも大変です。でも一気に覚えなくとも、少しずつでも楽しいという事が最近実感できるようになってきたので、ちょっと例を挙げてみます。

最近、外出の自粛が要請されています。せっかくの春なのに、お花見に行くこともできません。桜を見に行けないのは残念ですが、そんな気持ちを少しだけ晴らしてくれるような一節が「徒然草」にあります。

花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは。雨に向かひて月を恋ひ、垂れこめて春のゆくへ知らぬもなほあはれに情深し。

現代語訳は不要でしょうか。「垂れこめて」というのは「御簾を垂らした内に籠もって」という意味で良いかと思います。月は綺麗です。花は綺麗です。でもだからこそ、それを恋ひ求めるわけです。「散ればこそいとど桜はめでたけれ」という有名な歌もありますね。

普通に読んでも素敵な文章なのですが、実は古今和歌集の歌を知っていると「あ!」と気づくのです。

垂れこめて春のゆくへも知らぬ間に待ちし桜もうつろひにけり(古今和歌集 春下 80)

実は「古今和歌集」の歌を元にしていたんです。私は偶然「古今和歌集」を春上から順番に覚えようとしていたのでこの歌を知っていました。当然、「あ!古今和歌集でやったやつだ!」となるわけです(進○ゼミ風)。これが結構楽しいです。

あ、結論どうしよう。以上より、皆さんも「古今和歌集」の歌を覚えてみてはいかがでしょうか。

(4)

ところで、ここまでは皆知っている有名なフレーズについて書いてきました。でも皆が知っているというほどではなくても、自分の心に残るフレーズって結構あると思います。例えば、有名ですが最初に挙げた教科書の例ほど有名ではないもの、シェイクスピアから例を挙げてみます。今回は時間が無いので使えそうなフレーズを選んでみました。

To-morrow, and to-morrow, and to-morrow,(シェイクスピア「マクベス」)

場面設定はともかく、日常的に使えそうではないでしょうか。英文学科なんかだと「to be or not to be」と同じくらい有名かも知れませんね。あとは使えそうで使えなさそうな例。こちらは邦訳です。

ああ、だが、君の愛が流す涙はまるで真珠だ。これは値打ちものだ、どんな非行でも贖ってくれる。(シェイクスピア作、高松雄一訳『ソネット集』岩波)

私はもし将来恋人と喧嘩をした時、このフレーズを言ってみたいと思います。相手が涙を流している場合に限りますが。もし自分が泣いてしまったら、「僕の愛が流す涙はまるで真珠だ」と言えばいいのでしょうか。

そんな冗談を言っているうちにあと5分で日付が変わります。こんな雑で読みにくい文章を最後まで読んでくれたあなたに幸あらん事を。

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