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おばあちゃん、ごめんなさい
先日、父方の祖母の三回忌だった。
横浜にある父の実家に訪問するたび、私は祖母に何もしてあげられなかったなぁ…と思う。
幼少期、遊びに行くといつもニコニコして「いらっしゃい」と出迎えてくれた祖母が、私は大好きだった。
誕生日には毎年リクエストを聞いてくれて、それに応えてくれて。それに加えてお祝いのお小遣い(毎度、結構高額だった…)をくれた。
ただ、小さい頃の私は厚かましくもそれが当たり前のようになっていた。
「おばあちゃんにお礼の電話して」
「おばあちゃんにお誕生日のお祝いカード書きなさい」
「おばあちゃんのお手伝いしてきなさい」
母にそのように促されるまま、祖母へのお礼やお手伝いを仕方なくやっていた。
恥ずかしいことに私は、高校生になっても大学生になっても、自主的に祖母を気遣って連絡したり、手紙を書いたり、自分から会いに行ったり…
そのようなことができずに成人してしまった。
そして私が社会人になって、一方の祖母は90歳を超えるとゆっくりと弱っていった。
ほぼ寝たきりの生活で、日々伯母が介護を行っていた。
認知的にはしっかりしている、と伯母からは聞いていたものの、一度家族と一緒に会ってみると、もう祖母の笑顔は消えてしまっていた。
会いにいった時に私は、祖母に細い瓶に花をつめたハーバリウムを贈った。
以前の祖母ならきっと、「ふーちゃん、ありがとう」と言って笑いかけてくれただろう。
その時は、ちらりとそれを見ただけだった。
あぁ、遅過ぎた、と思った。
祖母はその時はまだ生きていた。
でも、私が自分から心をこめて、祖母を想って何かを贈るチャンスを、私はもう既に逃してしまっていたのだろう。
心の中で、「おばあちゃん、ごめんなさい」と思った。
私は良い孫ではなかった。
そして2年前の春先、祖母は息をひきとり、横浜市内にあるお寺で葬儀が行われた。
同居していた伯父・伯母・従姉妹たちによって遺影に選ばれた写真は、いつも優しかった祖母の素敵な笑顔だった。
その頃からは痩せて小さくなってしまった祖母のご遺体も、綺麗にお化粧を施され、遺影とはまた違った美しい顔をしていた。
遺影の祖母の笑顔、遺体となりもう目を開けることのない祖母の顔、寝たきりだった祖母、腰が曲がっても私たちをもてなしてくれた祖母、優しくて穏やかな祖母…
私はずっと忘れたくない。
また、祖母の返事を聞けることはなくとも、私はこれからもずっと祖母に向けて、「ありがとう」の言葉と、それ以上にたくさんの「ごめんなさい」を伝え続けたい。
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