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【旧:慶学サロン】法規トーーク ラスト回(後半)-海外都市計画事例

放っておいたら一ヶ月経ってました・・・汗
4月18日(日)に、ラスト回と称して、法規トーークのライブを行いまして。前半と後半に分けて、ざっと振り返りとして、記事にしておきます。

慶学サロンでは、法規トーーク!と題しまして、一級建築士試験に出題される建築作品をピックアップ、その都市計画情報をもとに、建築基準法第3章 集団規定について学んでます。
各回まとめのマガジンは下記。

■建築作品選定のうらがわ(後編)

・4月18日(日)当日慶さん不在+録画なし
・事前アンケート以下(一部抜粋です

今回、国内の建物を紹介していただいて、都市計画、集団規定を絡めて普段なかなか関わることが少ない内容を、教えていただいて過去問の敷居が一気に下がりました。知ることがこんなに楽しいのだということも実感できたのは、今回の企画で一番の収穫でした。
同じように、国外の内容もチラッとでも聞けたらありがたいです(>人<;)
(カタカナって、無機質ですぐに忘れてしまうのです。。。涙)

前半は、R02年出題の国内図書館作品についてやりましたので。
後半は・・・
そうだなぁ・・・
私もあまり得意でなかった海外の都市計画論かなぁ。
大学の授業でもやったようなやらなかったような(当時都市計画は全く興味なかったので完全に忘却の彼方w

■都市計画事例のワールドツアーへようこそ

はい。
さっそくですが、私が一番最初にお見せしたかった動画(3分ほど)を、zoom越しに見て頂きました。お見せした動画については許可を頂いていないので、↓↓↓ 代わりに現地のグーグルマップ。

これじゃ、どこやねん?ですね。笑
自転車王国(と私が勝手に命名している)オランダデルフト ( Delft ) という街です。
はい?っていう声が聞こえます。

Woonerf  ( ボンエルフ)」
「Hump ( ハンプ )」
「Chicane (シケイン) 」
これなら、あぁ?となりますでしょうか?
ボンエルフ、日本でも都市計画用語となっていますが、オランダのデルフトという街がその発祥地と言われています(正確にはもう一つ前にあるらしいですが・・・汗)。
ともかく、「生活の庭」と呼ばれる、歩行者優先の空間

オイルショックの時が分かれ目だったと言われていますが・・・オランダでは、自動車に奪われつつあった道路に、を取り戻そうという活動が盛り上がったとか。「子どもたちが遊んだり、ご近所同士の会話を楽しむ空間」を取り戻そうという活動が盛り上がったとか。

70年代の世界的なモータリゼーション。
個人が高速で移動できる手段=自動車が一般的に普及した年代ですかね。それとともに、増え続ける子どもの交通事故・・・
オイルショックの時が分かれ目だったと言われていますが・・・オランダでは、自動車に奪われつつあった道路に、「子どもたちが遊んだり、ご近所さん同士の会話を楽しむ空間」を取り戻そうという活動が盛り上がったとか。

ボンエルフって、オランダ語だし、名前だけ聞いても英語以上に頭に残らないと思いますが、動画で実際の空間の雰囲気を見てしまえば、一発で記憶に残るかなということでした。(参加されてない方にはナンノコッチャですね・・・汗

■本題の都市計画理論

ということで、
ワールドツアーと称して、海外の都市計画理論について。

1. エベネザー・ハワード(英)
 明日の田園都市 Garden Citys of Tomorrow
2. ル・コルビュジエ(仏)
 輝く都市(輝ける都市) La Ville Radieuse
3. クラレンス・アーサー・ペリー(米)
 近隣住区単位(近隣住区論) The Neighborhood Unit

あ-
って声が聞こえますね。笑
日本の明治維新→大正→戦後の都市計画も、この3つの都市計画の理想論?に相当影響受けてますしね。
理論や、その図面をただ紹介するだけだと退屈して終わると思うので、実際にその理想論を反映したと言われている各都市・各地域へグーグル・マップで飛んでいって、こんな雰囲気ですよーみたいなのを共有できたらと思いまして。
そして、都市計画理論のどの部分を取り入れて、どの部分は取り入れられなかったのかとかも、少し触れてみました。

1. エベネザー・ハワード(英)

はい。
前回、東京駅と丸ビルをやったとき、旅客鉄道はイギリス発祥ということで、軽く鉄道史をやったついでに、アフタートークでチラッと海外作品・事例に触れたんですが。
もう一度、イギリスに戻りまして。

・1898(M31)年「明日の田園都市」出版
・都市と農村の結合として田園都市を構想
都市の経営方法について論じる

E・ハワード氏、産業革命以降の大量生産に寄与した労働者が、劣悪な状態で生活していることを憂いて、この都市の理想論を述べたと言われています。
今となっては全く想像つきませんが、ちょっと調べると、狭い部屋に何人もスシ詰めで寝ていた資料とか・・・出てきますね。衛生状態もよくなくて、コレラや赤痢などの感染症が流行ったといわれています。
ということで、今でもイギリスはこの都市論の影響・恩恵を受けていると。
もちろん日本もです。

■レッチウォース Letchworth in the UK

E・ハワード氏の理想論は机上では終わらず、実際にその理論をもとに造られたのが、レッチウォース(レッチワース)。
ロンドンから北に約50kmの「衛星都市」です。

E・ハワード氏の理論の特徴は、上記以外に、都市の経営方法(いわゆるお金の収支)のことまで考えられた理論であった、という風に言われてるようです。
土地全体を開発公社が所有して、住む家も工場や商業施設も、みんな借地。その賃料の一部は、街の維持補修のために使われるという。
ざっくり、賃貸住宅における管理費?みたいなものですかね?
現在、住宅地の大半は個人の所有物になってるそうですけども、企業や商業施設は、そのまま借地だそうです。日本で言うところの都市計画税との関係とか、どうなってるのかなーとか興味は尽きませんが(止まらない。。。)
レッチウォース、100年経った今、グーグル・マップで見てても、ゆっーーーたりと生活してる雰囲気が溢れてくる街ですねー(うらやましいし、行ってみたいし、住んでみたい・・・

2. ル・コルビュジエ(仏)

この御方について、私自身が誰かに教えるような立場でないのは承知の上ですが・・・

・(1922年)人口300万人の現代都市
・(1925年)パリのヴォワザン計画
・(1928年)CIAM近代建築国際会議組織
・(1933年)輝く都市(輝ける都市)

E・ハワードの田園都市論に異論を唱えつつ、近代の建築はかくあるべし、といった論を展開した、ということで、本人のスケッチ?なのか図面なのか、超高層ビルとその周辺に高層の住居が並ぶ図面をみつつ。
(そういえば、ユニテ・ダビタシオンや空中庭園の話とか、しそびれましたね・・・汗 

パリのヴォワザン計画は、パリ博覧会の時に発表されたそうですが、データが探せなくてみなさんにお見せできなかった・・・
計画案としては、パリの主要な歴史的建造物を残して、古い建物は全部壊し、網状に道路を敷いて、超高層建と広場を造ったらよくない?っていう案だったそうで・・・(説明がザックリすぎw
そうならないでよかった!と、思いませんか。

日本は、E・ハワードももちろんですが、コルビュジエのこの「超高層群と都市の中の広場、その周辺の住宅群」みたいな考えに、相当影響受けている国の一つだと思うのですが、完全コピーとまではならなかったのが、面白いです。よくもわるくも。

■チャンディーガル Chandigarh in India

この都市は、ちょっと経緯の説明が必要ですかね。

・(1947年)インドから西パキスタンが独立
・(1951年)当時のネルー首相がコルビュジエ本人に、都市の基本計画立案を依頼

ということで、インドの西側の一部が独立してパキスタンができたことで、もともと一つだったパンジーャブ州は2つに分割されてしまったそうなんですが。
残ったインド側のパンジーャブ州の首都がなくなっちゃったので、首都を新たに造ることになって、もともとは別な方に都市計画をお願いしてたのが、いろいろあってコルビュジエのところに話が行ったそうで。
ちなみに、立場は監修という形で、ご本人は現地を年に一回訪ねる程度だったそうです。

1. 格子状に分割した区域(セクター)
2. 7段階に機能分けした道路網からなる計画案
3. マスタープランを人体になぞらえる

インド、私も行ったことがないので妄想なんですが、インドではたぶん格子状の都市って、あんまりたくさん造られてこなかったのかな?と。(中国の北京みたいな格子状の、という意味です。)

真ん中の川沿いに、公園の街区がずっと続いてるのがものすごくいい感じですが、現地どうなんでしょうね?人工的すぎて、現地の暮らし方にあまり合わなかった、という評価です・・・汗

■ブラジリア Brasília in Brasil

コルビュジエの考え方に影響を受けたルシオ・コスタが計画した都市、です。

・ポルトガル人が入植以来、首都を遷都しようという機運がずっとあった
・(1957年)国際コンペでルシオ・コスタ案が選定
オスカー・ニーマイヤーが建築家として参加

ブラジルって、リオとかサンパウロとかの名前はよく聞くわけですが、首都ってどこ?ってなりませんか。(人によるかな?
私も、初めてブラジリアをグーグルマップで見た時、ん?これどこ???ってなりました。ぜひ、↓↓↓ をズームアウトして、ブラジルのどの辺りか見ていただきたーい!

ルシオ・コスタの手書きのスケッチをお見せした後、グーグルマップで現地飛んで行ったら、参加されてるみなさんの感想が!
ドンピシャでした。笑(冥利に尽きます

「おおお。ぴったりー」
「すごい!」
「鳥にも見えるー(笑)」

ルシオ・コスタは、もともと仏人でブラジルに移住したそうですが、コルビュジエの影響を受けていて、という流れだそうです。

1. ジェット機形の平面形状
2. 機体の胴体に相当する部分を政治的中枢地域
3. に相当する部分を住居地域とする計画案

こちら、H26年だか、H27年だかに出題がありまして・・・
2と3が逆になって出題されたのを見落とした人が続出して、物議を醸しましたwww
グーグルマップを拡大して、チェック!

ジェット機の胴体に当たる部分が政治的中枢地区、ということで、オスカー・ニーマイヤーによるモニュメンタルな建物が並んでいます。

こちらの都市も、評価はなかなか渋いのですが・・・
実際に、現地に住んでる方の感想を聞いてみたいです。

3. クラランス・アーサー・ペリー

もう、ちょっとお腹いっぱい気味ですね・・・
最後に挙げたこの御方も、私が語るような・・・略

・(1929年)「近隣住区単位(論)」発表
・住宅地の計画原理として、各国の都市計画基準に採用される

もう、「近隣住区」という言葉は教科書レベルというか、国交省が出している都市計画法運用指針にもですね、「近隣住区」という言葉が出てくるほど、日本の都市計画にもガッツリ取り込まれている概念です(という入れ知恵をしてくださったのは慶さんw)。

1. 単位開発は、通常小学校が1校必要な人口に対応する戸数
2. その他、住区単位、オープン・スペース、公共施設用地、地区的な店舗、住区内部の体系的街路等を提案する

「小学校が1校必要な人口」
この辺りがポイントでしょうか。
自動車がスピード出してびゅんびゅん走る幹線道路が、住区を囲う形で形成されます。
この辺は、ワタクシが語るに及ばず、事例いきましょう。

■ラドバーン Radburn in the USA

「ラドバーン方式」とか言われますね。

こちらも、名前はうっすら・・・?
どこやねーん?かと。
↓ はい。アメリカ東海岸、NYのもうちょっと内陸、NJ州にあります。

1928年に計画が発表され、大々的に開発される予定が・・・
翌年の1929年、世界大恐慌に見舞われてしまい・・・
ほんとだったら、もっと大きく計画されるはずが、途中で中断してしまったとのことです。

ここねー
私も、教科書の図面見たりして知ってましたが。
やっぱ、グーグルマップすごーい!ですよ。

なぜって、幹線道路に垂直に「車用道路、住戸+専用庭、歩行者通路、専用庭+住戸、車用道路」のユニットが並んでいて、住戸の正面玄関は歩行者通路側、車用通路と各戸のガレージはいわゆるバックヤードなんですね。
そして、歩行者用通路は、幹線道路と平行して走ってる公園側の歩行者用通路に通じていて・・・その先は小学校へとつながるんです。
完全歩車分離

って文字で書くとナンノコッチャ。
この辺、zoomであんまりしっかり説明できなかった気もしつつ・・・汗

1929年ですよー
戦前のアメリカ。
モータリゼーションが一気に進むわけですが。
そんな中で、こんな公園の中に住んでるみたいな住宅地、うらやましい・・・涙
こちらも、いつか機会が・・・
あるのかわかりませんが行ってみたい・・・

■ハーロウ Harlow in the UK

もう食傷気味かと思いますが、「近隣住区」で出題が多いのは、本拠地アメリカNJ州ラドバーンよりも、なぜかイギリスの衛星都市ハーロウ

1. 近隣住区方式の原則に基づく
2. 明快な住区の段階構成をもつニュータウン

だそうです。
こちらの街の開発は、戦後の1947年。
ずっと、1900年前後の都市計画を扱っていたので、割と最近な気がしてしまう罠ですが、そうは言っても開発されてからだいぶ経ってますねwww

このハーロウと、ラドバーンの違いは・・・

ラドバーン「車用道路、住戸+専用庭、歩行者通路、専用庭+住戸、車用道路」
ハーロウ「車用道路、住戸+専用庭、専用庭+住戸、車用道路」

伝わるかしら・・・
ハーロウは、専用庭と専用庭の間に歩行者用通路がないんですよね・・・
正面玄関は車用道路側で、専用庭側はバックヤード。
ハーロウの話ではなかった記憶ですが、イギリスでは、このパターンの衛星都市が多いらしく、専用庭側の見通しが悪く犯罪の温床になったと言う報告も見かけました。
なかなかムズカシイ・・・汗

4. オランダの歩車分離思想

ということで、ようやく最後。
最初に観た「woonerf(生活の庭)」のまとめ。

60年代~70年代、世界的に都市に自動車が入り込み、道路が自動車のための空間と化しましたが、オランダは国ぐるみでそれを阻止し「歩行者・自転車での移動」を最優先させた、というところが特徴ですかね。

1. 入り口に道路標識
2. 物理的な障害(ハンプシケイン
3. 共通の舗装デザイン、ランドスケープ、街頭や車止めのデザイン

「自動車に運転しずらさを認識させる(目安15km/h)」ということだそうです。もちろん都市間移動は鉄道や車で行われていますが、それ以上に自転車専用道路が多いそうで。

いずれにしても、道路通行の優先順位で言うと、歩行者が一番で、自動車が一番最後にくるイメージですね。
日本ではなかなかこの考えが浸透しませんでしたが・・・
この記事を読まれている方、オランダに行く機会があれば、いわゆる道路上の交通ルールが全然違うことを、ぜひ体験してみてほしいと思います!
くれぐれも、猛スピードで通過する自転車に轢かれないように、お気をつけくださいw

以上でした。
思ったより量が多くなってしまって、だいぶ駆け足気味でしたが・・・
試験としては、「都市の名前」とその内容が明らかに違う、というパターンでバツ!が多いので、あれ?これは・・・?という風に、問題文を読みながら違和感を感じてもらえるようになればといいなと・・・

試験当日の、みなさんのご健闘を祈ります!

■本日のトップ画像

どの写真にしようか、いろいろ迷ったのですが、やはり。
現地へ行って衝撃だった、ミルトン・キーンズ(ケインズ)の住宅街の雰囲気です。

ロンドンの北方に位置するミルトン・ケインズは、イギリス最大級のニュータウンで、近隣住区論による空間構成を忠実に具体化した計画案に基づいている。

これ出題された時、受験してました。
答えはバツでございます。
当時の問題文を引っ張り出してみたら、「どこ!」って書き込みありました。笑

出題の2年後に、突発の思いつきでイギリスに行く機会があって、ウラ指導のありさんに直前に連絡して、都市計画で出た実例の?ミルトン・ケインズ?ミルトン・キーンズ?見に行きたいんですけど、(地球の)歩き方に載ってなくて・・・見どころってどこですかね?的な、ものすごい不躾な質問メールを出してました(まったく、どんだけ失礼やねんw
めちゃめちゃ優しいお返事頂いて、読み返して泣いてます。恥

結局、ロンドンからマンチェスターに住んでる友達のとこへ向かう途中に、たかだか3時間くらい街をうろついただけなので、なんともですけども。

私自身は、この街については、ものすごい肯定的に捉えました・・・
「ニュータウン」って、高層のマンションがずらっと並んでるイメージだったのですが、完全に裏切られたから。
後から思えば、イギリス人て田舎暮らしに憧れるって言うので、それを体現してる都市というか。

空がとにかく広くて、公園の中に住んでいるみたいで、低密度だし、いわゆる「お豆腐型の高層団地」とかないし、見渡す限り丘陵で・・・
完全歩車分離で、ゆったりしてて・・・
「木よりも高い建物は建てない」というのを合言葉に、街を展開してったとか、500社以上企業が集まっているので職住近接も満たされているし・・・
ロンドンへは、鉄道で小一時間で着くし。
って、
でも、ネットでちょっと探すと、訪ねたことのある都市計画系の方のものすごいネガティブな感想がwww
街らしさ的な魅力がない、人がいなくて寂しすぎるとか、なんとか・・・
あれれ・・・

ちなみに、住民参加での緑地や湖(人工?)の保存活動なんかも盛んだとか。今も分譲が進んでいたりで、人口は増えてるそうなので、行った時とはまた違った街になってそうです。

公園が大きすぎて、街が捉えきれなかったので、バスにテキトーに乗って、テキトーなところで降りて、ちょっと歩いて、それで撮った写真ですが、ほんとうに、心底うらやましかったです。
また、街を見て歩く旅に出たいですね。

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