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コーヒーの焙煎度合いと嗜好について。

あまり飲まない深煎りメインのお店でコーヒーを飲んだ

いつもはコーヒーを外で飲むときは大抵京都へ行くのだが、今日は市内の自家焙煎ショップを訪れてみた(2度目)。来店の理由としては、まだ右も左も分からない、だけど浅煎りコーヒーなんだか面白そうだぞ。。となっている自分にHARIO V60を勧めて、コーヒー沼に足を踏み入れるひと押しをくれた店主さんと、再度お話ししたいなーと思ったからだ。

1度目はずいぶん前で、まだ自分が働いてるチェーンのお豆しか飲んだことがない右も左もわからないときに訪れたので、まさかその人が2年弱の月日を経てスペシャルティコーヒーショップのグッズの服を着て、STANDART片手に再訪するとは思うまい、僕も覚えられているという期待をせず入った。

感じたコーヒーの中での溝

やはり、ライトローストメインのお店がお客さんに「酸味のないやつどれですか」を気にするのと同じようなものがあるのだろうか。店主さんは、いかにもサードウェーブ育ちのような服装、持ち物の僕に対して少し不安そうに「お口に合いましたか?」と尋ねた。やはり深めの焙煎をされる店主さんもまた、ライトローストを普段飲む人に自分のコーヒーが受け入れられるか気にする様子だった。いわゆる「浅煎り」と「深煎り」の溝というか距離感というか、こんなにも世間的には遠いのだなあと感じた。店主さんもすごく言葉に気を遣ってくれてたのがわかったし、飲んだコーヒーも過ごした時間も素敵なものだった。


そもそも浅煎り深煎りって?

焙煎度合いは絶対的ではない

そもそも僕はこの「浅煎り」、「深煎り」という表現は、あまり好きではない。僕の思考は作り手へのリスペクトという基礎の上になっているので、このような呼び方をすると「なぜロースターがそのような焙煎度合いにしたか」という意図を無視しているような感じがしてあまりリスペクティブでは内容に感じる。ロースターがその豆の個性、良さを自分たちの方向性で最大限引き出そうとした結果の焙煎であって、初めからこの豆は浅く焼いてみようと決めて焼くことはないと思う。全ての選択にその意味がある。そういう意味で、焙煎度合いというのは比較して初めて「こっちの方が浅めだね」とか「こっちの方が深いね」という相対的な意味で評価されることはあっても、絶対的な焙煎の度合いというものはないと思う。

絶対的な表現の必要性

しかし、わかりやすさのためにという目的でシティローストなどの絶対的な表現をするというのもまた理解できる。でなければ、風味を自分の口で表現することに慣れていない人たちにとって好みのコーヒーを伝えることが難しくなってしまう。その意味で焙煎度合いの絶対的な表現の有用性も理解しているつもりである。

普段飲まない焙煎度合いをどう楽しむ?

では、私たちは普段あまり飲まない焙煎度合いのコーヒーをどのように楽しむのか。あえて、わかりやすさのために「浅煎り」「深煎り」という言葉を使うと、朝は「浅煎り」、夜は「深煎り」というように、また季節によって「使い分け」ができている人はいいのだと思う。しかし周りを見渡してみるとそういう人は少なく感じる。「浅煎り」を飲む人は「浅煎り」ばっかりを飲む、その逆もまたよくみられる。これは決して、そういう楽しみ方が悪いといっているわけではなく、ただその結果としてなぜか生まれてしまった「浅煎り」と「深煎り」の二元論みたいなのはなんだか寂しいなあとなる(「犬派」「猫派」とかみてても思う。どっちも好きでいいじゃん!)。

著者の楽しみ方

というわけで、普段はライトローストばかり飲んでいる僕の楽しみ方を共有してみたい(役に立つかはわからない)。確認のために告げておくが、ここから話すこともこれまで話したことも全て個人の意見です。まず、「浅煎り」と「深煎り」では楽しみ方が違うと思っている。僕は「浅煎り」のコーヒーを飲むとフレーバーを探してしまう癖があるので、例えば今回のようなSTANDARTを読みながらのコーヒーには向かない。目では文章を追っていても頭がフレーバーのことでいっぱいになって、文章が右から入って左へ抜けて〜の状態になる。まさに、コーヒーを飲みながら、コーヒーという状態に飲まれているのだ。それはそれで、生産者もフレーバーを感じ取って欲しくて、作っているわけだし、ちゃんと楽しめているのかなーとは思うけれど。これが「深煎り」のコーヒーだとこうはならない。ちゃんとSTANDARTの文章が頭に入ってくる。「深煎り」のコーヒーは口に含んでも、フレーバー以外のことに目を向けさせてくれる「ゆとり」というか「余裕」があると思う。コーヒーが「俺のことはいいよ、本を読みな」っていってくれてる感じ。「浅煎り」コーヒーだとこれが「ねえねえ!俺のフレーバーどうどう??」って問いかけてくる感じがする。コーヒーの声がする。そういう意味で、自分の場合は「深煎り」「浅煎り」を同じ「風味」という天秤にかけるのではなく「楽しみ方」を分けることで上手くやれてるのかなーっていう感じがする。

自分でもよくわからなくなってきた、コーヒーって深い

と、焙煎度合いと嗜好について話してきたが、ここまで振り返ってみても、最初は焙煎度合いなんて関係ないよ的なこと言っておきながら、自分も心の底では楽しみ方を区別したりちょっと矛盾してるとも取られるなー。やっぱりコーヒーって考えれば考えるほど深いなー、と改めて思いました。


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