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欠片が埋まらない

 事実を述べて伝えられることは、どれだけ小さいのだろう。小さな身体全体が心臓のようにどきどきと揺れ動いたことも、鉛になってしまったかのように重くのしかかる生存それ自体も、言葉にしてしまってはとても陳腐だ。こと何かに対する愛情なんてものは言葉にしてしまってはあの尊さも儚さも切なさも、何もかもを失ってしまう。

 言葉で何ひとつ感情を伝えないことにしよう。あの結果わたしは酷く屈曲して鬱になり数年を無駄にした。ひとは「無駄ではないよ」「成長しているから大丈夫」とはいうけど、そんなことはわたしがいちばん判る。無駄な数年だった。苦しむことを恐れた結果、本気で苦しむことを避けて生きた。そのせいで今、本気で苦しむことができない。自分の人生のくせにどこか架空の話をしているかのようなふわふわとしたものを練っては思う形にならず癇癪を起こすばかりだ。信じて突き進む体力も残っていない。

 昔、雲はふわふわとした綿菓子のようなもので、登れるものだと思っていた。座れば不安定ながらもわたしの形にすっぽりはまり、支えてくれると。それを信じなくなったのは、教育番組の道徳的な歌が完全な創作話だと判るようになってからだ。 

  ある日、雲がわたしの夢を取り返してきてくれた。ぽつんと部屋の中くらいに浮かぶ雲はあの日願ったそれと同じものなのか一瞬分からなかったが、それでも雲だ。雲はどうぞとわたしの未来を差し出した。あまりに素っ気なく渡してくるものだからどうでもいいものなのかと思った。

それが暖かかったとか冷たかったとか、大したこと無かったとか、そういってもきっと何にもならない。わたし以外のあなたも無くしてきたものだ。それを手に入れた、あの感覚。ただこれだけは言っておこう、またこれをわたしは手に取ることが許されていたのだと、罪から逃れられた気持ちになった。

朝起きたらそれは無くなっていた。当然だ、夢なのだから。でも、言語化しないそれを掴めたことが、今日を繋いだ。そんなふうに日々を繰り返すのだと偉そうに言う気にはならないが、きっとそうやって幻想の世界に窓を開いておくことが、風通しの良いメンタルヘルス、なのだ。

皆様に伝わったでしょうか。それではわたしはここで。雲のやつらと虹の橋を渡って遊ぼうと約束をしているので。


本になって、私の血となり肉となります