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アイドルの結婚

 推しが結婚した。結構古参なファンだったと思う。7年くらい推してて、わたしの人生の中ではいちばん長いジャンルになった。7年前は「推し活」なんて言葉がまだ流行る前で、地雷系もゆるふわマイメロ女子も推し活をしていなかった。グッズと言えば雑誌の見開きと、缶バッチと、ブロマイドぐらい。今みたいにぬいぐるみはない時代からの推しだった。
 「推し」という言葉はあんまり好きじゃない。本気な思いも浮気な思いも、全部一緒くたにして「推し」と言うなんて、ボキャブラリーが貧相でしかないだろう。「推し」の前は「好きぴ」か。その前は「オレの嫁」とかだったはず。推し始めたときには「嫁」だったのに、いつの間にかあの人は「推し」になってしまった。
 推し活をしている人たちを見て、よくあんなに同じグッズ買えるなとかインスタに乗せるのがゴールなのかなとか、思ったものだ。それでもそれが「推し活」の王道となったなら仕方ない、わたしは精一杯推し活をした。界隈が愛を示す方法がそれというのなら、豪に入れば郷に従え、だ。

 結婚報道。わたしの推しは優秀で、匂わせも𝕏で話題になったことがなければ、先に週刊誌に撮られることもなかった。アイドルとして、やっぱりわたしの推し、最高だよ。おめでとう、と推し活用アカウントで呟いて、過去のライブの写真なんかをいくつか一緒に載せてみた。おめでとう、とすんなり出たわたしは「なんだ、全然リアコじゃないじゃん」と自分を鼻で笑ってしまった。
 ファンにも何種類かある。本気で恋心を抱いている人、尊敬してロールモデルにしている人、推し活している自分が好きな人、など。わたしは本気で推しに恋する「リアコ」だと自称していて、この界隈ではそれが一番熱意が高く、厄介ともされているオタクの部類だった。
 でも、全然心が空っぽにならない。熱愛のお相手は一般人、そうなんだ、それで終わってしまった。掲示板に張りつけばきっと相手の情報を得ようとリアコの人や冷やかしのオタクが頑張っている。でも、そこまで見るだけの気力は特になかった。
 所詮、自称。推し活している自分が、もといリアコの自分が好きなタイプのオタクだったのかもしれない。なんだかそれだけは少し嫌だなと思いながら𝕏を閉じた。
 握手会に行った。名前を覚えてくれた。髪型を褒めてくれた。勿論、きゅんきゅんしたはず。すごい嬉しくて列を離れた瞬間ツイートしたんだもの。それでもこれは恋じゃなかったんだな。まあ、それでも推しの幸せを願えないオタクよりましだもの。おめでとう、推し。幸せになってね。泣けもしなかったリアコを認めることでくだらない恋愛小説にも満たない恋愛を終わりにしよう。
 全然次のライブ行くけどなー、と思いながらそれをツイートすることはしないで推し活用のアカウントからログアウトした。

本になって、私の血となり肉となります