”大人”と子供”の境目

見下されることには慣れた。
あ、この人は私のことを下に見ているな
そう、感覚でわかる。
私は末っ子だ。幼い頃、家族間で私が本気で怒ったり泣いたりしても全て笑い事で終わった。
家庭内で喧嘩が始まると自分と直接無関係でも怒鳴り声やものが壊れる様子に怯えて、お腹を壊し、泣きながらトイレに篭っていた。
ある日、喧嘩が終わったのかトイレで苦しむ私を見てみんなに笑われた時には悔しくてたまらなかった。

自分がどんどん大人に近づいてくる。
それと同時に近所の子供たちを見るたびに自然と幼いな、と思ってしまう自分がいた。しかしそれは間違いだ。大人だから大変だとか生きづらいのなんて想像力が乏しい人が考えることだろう。
私はきっと世間で言うところの”大人”と子供”の境目だ。
数年前の”子供”と呼ばれていた時のことを思い出してみると、あまりいいと思う様な出来事が思い浮かばない。伝えたくても大人が怖くて伝えられなかったことがたくさんある。それは今でも言えていない。これからもずっと心の奥底にしまっておくのだろうか。
思えば私はきっと守られていなかったと思う。

中学の頃、リストカットが流行った。昔から仲の良かった友達がわざわざ腕をまくり見せつけてきた。リストカットする理由なんてきっと人それぞれで他人が介入する問題でもないが
”そんなこと”でしちゃうんだ
正直、軽蔑した。
私だってあなたみたいに腕くらい切り落としてみたかった。けれども、そうしてみんなから馬鹿にされるくらいなら自ら命を絶つ方が私らしくていいな。
そう思った。

でも、その時の私だって想像力が乏しかったはずだ。その子が全てを話していると勝手に思い込んでいるのだ。

思えば、そんなことばかりだった。私は本当に0歳児からの記憶がある人間で(だからと言って得することもないが)よく覚えているのは生まれた時から生まれたこと今生きていることに疑問を覚えていた。幼稚園の頃は自分の存在意義ばかりを考えていた。我ながら気持ち悪い園児だったと思う。

だから子供とか大人とか関係ないと私は思う。
近所の小学生だってサラリーマンのあなたよりも人生を悟っている可能性もあるし、人生に絶望しているかもしれない。

私の通う学校には1年生が入ってきた。かわいいな、幼いな、そう思った。
でもそれはきっとほんの1部分と私の都合の良い妄想に過ぎないのだ。だからこそ先輩も後輩も同級生だって同じくらいに敬意を払うようにしている。それはきっとあなたにも。

一人の人間として。

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