生き延びる臆病者
いつもニュースで大騒ぎになる話題、「自殺」について、私の考えを少し綴ってみることにした。
結論から言うと、
「自死は褒められるべきことではないかもしれないが、かといって愚かなことだとは思わない。ただ、ただ、その人がそのような選択や思考をせざるを得なかった環境や背景には、憂慮してしまう。」
である。
私自身は、毎日、漠然とした希死念慮に苛まれている。
過去の失敗や将来の不安、自己嫌悪など、色々な要素が絡まり合って、結果として「生きるのめんどくさいな。」という思考にかなり支配されている人間である。
自殺することに対して頭ごなしに「自殺なんてバカげてる」、「生きていればいいことがある」、「残された人たちのことを考えろ」なんて批判するやつがいる。
くそくらえ。
そんなこと、希死念慮を抱えている人間にとっては、何百回も考えさせられていることである。
amazarashiの「僕が死のうと思ったのは」の歌詞にもあるが、希死念慮や自殺願望を抱えているのは、”きっと生きることに真面目すぎるから”なんだと思う。
お前らみたいに周りに迷惑かけても図々しく、厚顔無恥で、自分の過ちや反省をせず、図太く生きることができるなら、どんなに楽だろうかと思うことは多々ある。
かといって、生きることに悩んでなさそうな奴に知ったかぶりされるのも腹立つし、そういう生き方に憧れを持つわけではない。
その人の苦しみはその人しかわからない。
「学校でクラスメイトに無視された」と「仕事で取り返しのつかないミスをした」は、どちらがより深刻なのか辛いのかは第三者が決めることではない。
「そんな理由で死にたいの?」
「みんな辛いよ」
「私はこうやって乗り越えました」
「自殺なんて逃げと一緒だよ」
うるせえよ。
電車のホームから飛び込むことすらできない。大量の薬を服用することすらできない。
死ぬ勇気がないから生きている。
そんなもんです、私は。
生命は生き延びる、生き続けるように原始的な本能がインプットされている。
死に対して恐怖や逃避するのは当然なことである。
その一線を超えることは、私たちのような臆病者にはできない。
自死は褒められるべきことではないかもしれないが、かといって愚かなことだとは思わない。
ただ、その人がそのような選択や思考をせざるを得なかった環境や背景には、憂慮してしまう。
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