【PHILOSOPHIA PERENNIS】コロナにもかかわらず: ヘッセン州では普段よりも死者の数は少ない
2020年4月22日
コロナウイルスに直面して、何人かの科学者や指導的な政治家たちは、まったくもって無責任なやり方で、国民のパニックを煽動しているのではないだろうか。ここ数日入ってきた多くの報告は、まさにそのことを示唆しているように思われる。
このようにHessensschauは報道している。「ヘッセン州においてはコロナパンデミックは全体として高い死亡率にはつながっていない。その反対である。結局のところ死亡者の数は、長期的な平均よりも若干低い程度である」。
高い死亡率ではなく低い死亡率
そこでは、さらにこう続いている。「ヘッセン州では3月中旬から160名から170名の人が1日に死亡している。これは比較的少ないものだが、Helmut Uphoffによれば、彼はこう語ってるのだが、そもそもこの時期には160名から200名の毎日の死者が見込まれるのであり、むしろしたがって現在よりも多いのである」。かつて過去におけるインフルエンザの流行や熱波の襲来の方が死者の数値を明らかに上昇させていたことが、より驚くべきことである。当局によれば、2018年/2019年の3ヶ月におよぶインフルエンザの流行によって、いわゆる高死亡率が発生したことがあった。その季節には、統計的な平均以上の1000人の死者が出ており、またその前の年には2400人もの人が亡くなっていたのだ」。
メルケル・システムやその信仰箇条に対する批判では知られていないTagesschauにおいて流された昨日の報道も、原理主義的なコロナ主義者にとっては、当惑させるものであったに違いない。そこで問題となっていたのは、公式にコロナウイルスで死んだ患者についての最初の検死結果であった。
コロナウイルスでは誰も死んでいない?
思い出してみよう。ロベルト・コッホ研究所は、はじめには——きわめて奇妙な理由から——検死に対して反対を表明していた。なぜそのような態度であったのかは、いまや明らかになった。
Andreas Patzwel@APatzwahl
ハンブルクの法医学研究所の所長Klaus Püschelは(コロナウイルスで死亡した)100人以上の人々に検死を行なった。
その結果: 検死されたすべての人々に既往症があった。すべてだ!!
また、コロナを信奉しているこれまでの世界を混乱させるような異端のスペクトルのうちには、つい最近ロベルト・コッホ研究所から与えられた以下のような事実も属している。COVID-19の増倍率は、シャットダウン前のドイツにおいてすら、1以下だったのである。
国民: すべてが無駄である(あった)はずがない!
しかしながら、これらすべてのことは、国民の大半にとって重要でないことのようである。少なくとも、ソーシャルメディアに現れているイメージが国民を代表していると考えるかぎりは。日曜日における商店の開店を検討したケルンとノルトラインヴェストファーレン州の責任者たちに浴びせられた罵声の嵐を見て、昨日私はそのことを問題とした。
なぜすべての人々が、ノルトラインヴェストファーレンでの規制緩和と、以前から計画されていたケルンのSüdstadtにおける日曜日の商店の開店に怒っているのだろうか。その背後には、ドイツ人が自分の歴史によってよく学んでいるはずの単純な心理的なメカニズムが働いているのである。すなわち、すべての私たちが払わねばならない犠牲、これから払うことになる犠牲(経済の破綻)が、無駄であるなどということはあってはいけないのである。
しかしである、愛する市民たちよ。それがすべて無駄であったということはありうることなのである。そして、それはいわれのないことではない。というのも、私たちがそのことをいま考えようとしないならば、私たちが払わなければならないつけは、ますます高いものとなるからである。
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