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Dear teenagers / 思春期と人生。

ここしばらく、頭からずっと離れないこと。


広島で中学生が電車にはねられて死亡。
そのしばらくあとに、
大阪でも高校生が線路内に飛び込んで死亡。


置かれている立場によっていろんな意見があると思う。

電車が止まったことで予定が狂った人はイラつきを覚えただろうし、
亡くなった学生の親御さん世代の方は自分の子のことを考えたかもしれない。
このニュースの現場近所に住んでいる人たちは亡くなった子の家柄、家族関係やご近所との関わりを考えたかもしれない。
学生の通っていた学校の評判や本人のSNSアカウントをサーチして、亡くなるに至った経緯を探る人もいただろう。
電車や新幹線、バスなど公共交通機関の運転手さんは、目の前で縁もゆかりもない人が亡くなる光景を想像したかもしれない。


私がこのニュースを見た時、思ったことが2つ。
1つ目は、「学生時代の苦しみが人生そのものを決定づけるわけじゃない」ということ。
2つ目は、「けど確かに私も死にたいと思っていた時があった」ということ。


学校(特に中学・高校)って、社会の縮図とか言われてるけどわたしはそうは思えない。

上下関係とか、人との繋がりやぶつかり合いが社会でも学校でもあるからって意味でその比喩が出来たのかもしれないけど、
同じ年齢の人が強制的に集められ、クラス分けされて、
1日の大半を同じ空間に箱詰めにされて、
みんな同じこと一緒にして、みんな同じ指標で優劣がつけられる社会なんて学校以外どこに存在してんだ?って感じだし。

確かに一部の企業とかでは業績とかで画一的な評価が下されるのかもしれないけど、そうじゃない会社や働き方、生活だって存在してる。


いい成績、評判、評価の獲得の仕方なんてのも、いろんな方法がある。
熱い情や人間味を活かす人、キレッキレのブレーンを活かす人、ミスやズレ、遅れがない正確さを活かす人。常識にとらわれないアイディアや意見を活かす人。
どれがより秀でてるかなんて決められない。


学校では、「正解」「正しさ」という考えがいつもつきまとう。
私の学生時代はテストで正解をたくさんとって、校則に則った正しい行いをし、良い成績を取ることが良いこととされていた。
今はSNSのおかげでもう少し学校内の環境も多様なのかな...。

けど、ひとたび学校を出ると、何が正解で、何が正しいのかなんて人によって全く違うし、状況によってルールや常識も違う。
学校だからこそ成立してた考え方もたくさんあったと社会にでて気付かされた。


ただ、こんなことをつらつら書いている私自身も、
死にたくて仕方ない時があった。


小学校と中学校時代に陰湿ないじめに遭っていた。
理由もわからなくて、田舎だったから地域全体が閉鎖的で。

当時は家族関係もそんなよくなかったから、助けを求められなくて、逃げる先もなくて。

親とぶつかった時、学校で嫌な思いをした時、
泣きながらカッターを手首に当てて、傷を作ったことがあった。
何度も。


厨二病じゃんwww


とか思う人もいるだろうけど、本気で、心の底から、
死ねば楽になると思ってたし、
色々うまくいってないのは全部自分のせいだと思っていた。


自分がいなくなれば私は学校で苦しむ必要がなくなるし、
いじめてた人には罪悪感を植え付けられる。
家族は私がいなくなれば仲良くなってくれるかも。

そう本気で考えてた。真剣にそう信じていた。


けど自分の自己防衛本能に打ち勝つほど私の意思は強くなかった。
そして、私の考えも間違っていた。何年もして気付いたんだけど。


私がどれだけ塞ぎ込んでても、ちゃんと向き合って、必要な時は叱って、愛して、支えてくれる人はいると知った。
自分がどれだけ頑張ってもそりが合わない人はいるし、
人間関係は自分だけが頑張って変えられるものでもないと学んだ。
人を苦しめないと自己肯定感を保てない人もいるって学んだ。
物理的な距離があるからこそ、人とうまくやっていけることもあるって知った。


親はいつも完璧な聖人のように幼い頃は思っていたけど、そうじゃないと気付いた。
母も父も、間違う。失敗する。憤る。葛藤する。悲しむ。
心穏やかじゃない時もある。
どうすればいいか分からない時もある。

苦しみや悩みは、時間が解決してくれることもあると経験した。
時には苦しい、悩んでる、って声を出すことで初めて解決することもあった。
そして苦しみや悩みに向き合うことで、人にやさしくなれた。
新しく生まれてくる考えや価値観もあった。


だから、もしこれを何かの縁あって読んでくれた人がいて、
その人が学校や家族の中で苦しんでいるなら、、、


今うまくいかないことがあると、これから先も全部ダメなんじゃないかと思ってしまうかもしれないけど、絶対にそんなこと思わないでほしい。


学校で良い成績が取れなくても、周りの人と馴染めなくても、
将来したいことが見つからなくても、将来なんて考えたくなくても。
家族が自分のことを理解してくれなくても、自分が家族のことを理解できなくても。

生きてみるからこそわかることがある。
後から振り返ってみて初めて気付けることがある。

そして、もし1人で苦しんでいたり、
解決策が見つからずに行き詰まっているなら、
助けを求めることをためらわないでほしい。

近くの人に相談することが恥ずかしいと思うなら、匿名で、オンライン上で悩みを相談できるところを探しても良いと思う。
自分が自分らしくいられる居場所は、生活圏外、学校区外、国外...
まだ想像もしていないところにあるかもしれない。



こういうことを書くと、いろんな意見が来るのかもしれない。
本当の辛さを知らないからそんな綺麗事が言えるんだ、とか
結局運が良かったから、恵まれてるからそんなことが言えるんだって思われるかもしれない。


けど、そんな意見はナンセンスだと思う、

だって、別に誰がより苦しんでるのか、辛いのかなんて競争するようなことじゃないから。
運がいいから、恵まれているから苦しんでる人の気持ちに寄り添えないって話でもないから。



ただ、一人ぼっちだって思ってる人がいるなら、そうじゃないよって伝えたい。
苦しみや悩みで頭も心もいっぱいになっている人がいるなら、SOSを出して良いんだよって伝えたい。


たった26年ほどの人生で学んだこと、考えたことだけど、
思い出したくないほどの経験を学生時代にしてきた人間として、
誰かの支えになればいいな。
誰かの力になればいいな。

そう思いながら今日のブログを書きました。


本日もお読みいただきありがとうございました。

 



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