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僕の正義、彼の正義。

こんにちは。深崎島ぴえろです。

梅雨に入ったと想っていたのに、意外と雨は降らず。

まだ梅雨入りしてなかったんですね。



さて今日は。

ニュースを見ていて感じたことを書いてみようかな、と。


僕はあまり時事ネタについて書きたくはないと想っているので…

このニュースについてです!っていうよりは、

ニュースを見てこんなことが思い浮かんだな~…くらいの姿勢で書きます。



僕は最近いくつかのニュースを見て、

SEKAI NO OWARIのDragon Nightを思い浮かべました。

(えぇそうですよ。僕はいつだってSEKAI NO OWARIの話しかしません。)



「ドラゲナイ」でお馴染みのあの盛り上がれる歌。

あの歌は、実は「クリスマス休戦」をテーマに作られた歌なんです。


クリスマス休戦とは、

第一次世界大戦中の1914年12月24日から25日に実際に起きた休戦のことです。

最前線で戦い、にらみ合っていたドイツの兵士とイギリスの兵士が、

どちらともなくクリスマスを共に祝ったという

小さな小さな奇跡のお話。


いがみ合っていた両軍の兵士達が

歌を歌い、お酒を酌み交わし、サインを交換し、記念写真を撮り・・・

いっしょになってお祝いをした日。


翌年からは、

またクリスマスには休戦!…ではなく、

むしろさらに戦いが激しくなってしまったらしいですが。



たった一度だけ、クリスマスに起きた、奇跡の休戦。

その奇跡の休戦をもとにして作られたDragon Nightには、

こんな歌詞があります。



人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかも知れない

だけど僕の嫌いな「彼」も彼なりの理由があるとおもうんだ


人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかも知れない

だけど僕の「正義」がきっと彼を傷つけていたんだね



「彼」なりの理由。

それはきっと「僕」には理解しがたいことなのかもしれない。

だからきっとそれぞれの「正義」のために争いが起こってしまう。

でもまずはどんなに嫌いでも

「彼」にも何か、その「正義」を掲げる理由があるということを

忘れてはいけない。


僕には僕の信じた「正義」がある。

でも僕の「正義」は彼にとっては鋭利なナイフなのかもしれない。

僕は自分の信じた「正義」の名の下に、

そのナイフで彼を傷つけていたのかもしれない。

僕の「正義」は万人共通ではないことを、

きちんと理解しておかなければいけない。



そんなことを言われているように感じます。

正解はもちろんわかりませんし、捉え方も人それぞれですが。



「正義」って、かっこいい言葉のように感じるけど、

扱いを間違えると、ただの狂気になってしまいますよね。


「ご年配の方を大事にしよう!」という正義の心を持つのはとてもすてきなことです。

でもだからと言って、

実家に帰らない人を批判していい理由にはなりませんよね。


「いじめはいけないことだから!」という正義の心も、めちゃくちゃかっこいいです。

でもいじめられている人を救うために、いじめている人をいじめ返してしまうのは、

それはほんとうにかっこいい「正義」と言えるのでしょうか。



僕は「正義」とは「剣」になってはいけないものだと想います。

「剣」ではなく「盾」にするべきものなんじゃないかなぁ、と。


「正義」というものが存在しないとは言いません。

必ず存在すると、僕も想います。


だけど「正義」が誰かを傷つけてしまうなんて、哀しいじゃないですか。

みんなきっと「護りたい何か」のために「正義」を心に持っているはずなのに。


だったらいっそ、「正義」という名の「剣」がなくなってしまえばいいのにな。

なんて想ってしまいます。

「護りたい何か」を護るときに使う「盾」にだけなってくれればいいのにな。

なんて、想ってしまいます。



「正義」は「攻撃」するためのものではなく「護る」ためのものであってほしい。

これは、この考え方が、

僕にとっての正義なのかもしれません。


彼なりの理由があることを忘れてはいけない。

僕の「正義」が誰かを傷つけてしまう可能性があることを忘れてはいけない。


自分なりの「正義」を持つことはすばらしいことです。

そのすばらしい優しさ溢れる「正義」が、

誰かを傷つけてしまうことがありませんように。



ニュースを見たとき、

考えることを放置しないようにしたいです。



深崎島ぴえろ☽︎‪︎.*·̩͙‬





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