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【パーマカルチャーデザイナー vol.17】Takuhito Sato

これはパーマカルチャーデザインコース(以下、PDC)を修了したパーマカルチャーデザイナーたちのリレーコラムです。

※パーマカルチャーとは
"Permaculture is a dance with nature, in which nature leads."
パーマカルチャーとは自然に導かれる自然とのダンスのようなもの。
Bill Mollison

ビル・モリソン


#17 Takuhito Sato

#16 ホゲス金村 利香 からのバトンは 佐藤卓人。

人懐っこい人見知り。

仲良くなるまでに多くの時間は必要としなかったように感じます。
家族で過ごす時間を誰よりも何よりも楽しむ彼との会話には家族のエピソードが多く、いつも誰よりも佐藤家に詳しくなった気持ちになります。

Q1.あなたについておしえてください

Photo by Ben Matsunaga

遠いフランスから届いたバトン。
りっかちゃん、ありがとう。
旅の車の中で話した言葉や時間はずっと大切な思い出です。

神奈川県横浜市生まれ。

幼少期は読書や映画が好きで手先の器用なおじいちゃんと、アヒル小屋を作ったり、手裏剣(鉄製!笑)を作ったり、池や川で生き物を捕まえて池を作って飼育したりとたくさんの時間を過ごしました。

今でもわが家の素麺は出汁からおじいちゃんに教わった作り方。

運動は得意だったけれど、体はそれほど強くなくて二十代は入退院を繰り返す日々。
その頃に本を読み漁りキューバの農業革命に興味をもち、ミミズコンポストを自作したりしていました。
でも当時はSNSも普及前で、そういう仲間に出会うのはそれからまだ数年先。

その間、夫婦で自転車に乗ったり、山に登ったり、車中泊で熊野や四国を旅したり、自然農体験をしたり、そして神奈川の西湘湘南で出会った仲間たちから繋がり、逗子の保育園・ごかんのもりの『パーマカルチャーと子どもの未来研究室』に参加。
フィル茜ちゃんたちと出会い、そしてPDCに参加しました。

現在は奥さんの愛と、長男埜太(やた/七歳 サッカー少年)・次男凪(なぎ/三歳 プラダーウィリー症候群)・三男碧(あお/一歳 一番の暴れん坊 笑)の五人家族。ウッドデッキを作ったり、保育園の送迎や通院、週末は埜太のサッカーで一か月があっという間に過ぎる生活。

最近【田んぼとフットボールの共通性】に気づきました(^^)

この数年間は家族のことやコロナもありPDCファミリーを含めてなかなか友達に会えていませんが、春は友達の田植えを手伝ったりコンポストやボカシを作ったり、横浜のはしっこの住宅街でひっそりパーマカルチャーをしています♪

来年はPAWAみたいに実家に作ったパーゴラでナイアガラが実るといいな♪

Q2.パーマカルチャー デザインコースを通して

Permaculture Design Course 2017

幸せに暮らす=自然体に暮らす、無理しないで暮らす、楽に暮らす、自分らしく暮らし…言いかたはたくさんあるけれど、PDCのなかでぼくの頭にふっと浮かぶのは、「無理をして生きてる生物は人間だけ」というフィルの言葉。

ぼくも入退院しながら無理して働いていたからハッとした。
水が硬い岩盤を避けて流れていくように。
もの上から下に落ちるように。
律することができることも人間の素晴らしい一部でもあるけれど。

学びながら寝食を共に過ごしたPDCの仲間には、うまく言葉にできないけれど『繋がっている』感覚があって、認め合っているとか受け容れているとか、そういう感じではある。

簡単に言えばいい意味で『無理しない』間柄なのだと思う。
それが心地いいのだと思う。

大人になってそういう仲間ができることは素晴らしいことだし、自分がそう働きかければいくつになっても出会えるものだと教えてもらいました。

Q3.あなたにとってパーマカルチャー って 

Photo by Ai Sato

この星で、豊かに幸せに暮らすためのセオリーの羅針盤

パーマカルチャーの知識や技術は自然の原理を利用していることが多く、そこにひそんでいるセオリーを自分自身で実体験することで、その手で触れた感触からそれ何かを感じることができると思う。

人間も自然の一部なのだからそれに沿うことは体にも心にも気持ちがいいものだし、そのセオリーを子育てや働き方や生き方になぞえることで、自然に心地よく穏やかに暮らしていくヒントになると思う。

自分自身に寄り添い、問いかける。
自身自身の性質を知ること。
自分はなにを求めている?
自分の胸のまん中にある気持ちや想いを大切に。
子どもならなおさらに、その子の生まれもった"種"を大切にしてあげたい。

次男 凪はプラダーウィリー症候群という1/15000に一人の難病をもって生まれました。

パーマカルチャーには美味しい食べ物がつきもので、僕も将来自分の畑と田んぼをもって美味しいものをたくさん作って家族みんなで食べたいと思っていました。

プラダーウィリー症候群は食欲のコントロールができず、生涯に渡り食事の制限をしていかなければなりません。

病名がわかった時、パーマカルチャーを学んでいるのに食べることが病気なんて…と一瞬大きな悲しみに落ちていくような感覚になりました。

でもその瞬間「あれ?パーマカルチャーなら、なおさらこの病気の助けになれるかも?」と一瞬でそこから飛びだし希望をもって前を向けるようになりました。

PDCの初日に大きな紙にみんなで想いや目標を書いて張り出したのだけど、僕は「パーマカルチャーで家族を幸せにしたい」と書きました。

やっぱり僕はきっとこのために学んできたのだな、と思いました。

体壊して痛みに苦しんだことも、おじいちゃんとアヒル小屋を作ったことも、今までの全てが繋がっていて。

初日に書いたそれは、もう叶えられると感じています。

パーマカルチャーデザイナーの仕事は『繋げること』これからも家族を中心にたくさんの繋がりを作っていきたいと思っています。

埜太もそんな『繋げられる』サイドバックになってもらえたら嬉しいです 笑

茜ちゃん、この場を作ってくれてありがとう。

Q4.PDC卒業生の中で次にバトンをつなぎたい人

加藤 恵子さん

ぼくたち家族が大好きな西湘小田原で、代々神社と森を守る三女のお母さん。

ぼくたち神奈川に住むPDCファミリーにとっても、お母さんのような、お姉さんのような、そんな優しさでいつも包みこみ出迎えてくれる大切な友達。

わが家の初詣は恵子さんち♪

卓人くんからのバトンは #18 加藤恵子へ。
何もかも受けとめてくれる笑顔と優しさを持つ彼女の元へ行くといつも安心に包まれます。

2021/11/22 小雪