ブンゲイファイトクラブ3 メインページ
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ブンゲイファイトクラブ3の勝者は以下の作者に決定いたしました。
左沢森
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青山新 評
ファイト・クラブで起きる出来事は言葉を介さない——チャック・パラニューク(著)池田真紀子(訳)『ファイト・クラブ』
引き続き、全ての作品の全てのテクストを「書かれたからには意味がある」ものとして読む。しかし、もはやジャッジの基準をつらつらと前提する必要もないように思われる。比較される他のジャッジがいない以上、結局はわたしがこの一週間何を考えたかという話でしかなく、こうした主観を客観的で再現性があるかのように演出することに興味はない。そもそも「書かれたからには意味がある」ものとして読むとは、主観にもとづいた過剰な読解によってテクストを再創作する、ということに他ならない。ゆえにこの評はわたしが決勝二作品を前に何を考えたかを披瀝する形式にならざるをえない。
また、作品の細部に対する言及も可能な限り行う。これはいかなるプロセスでジャッジが行われたのかを明示する意味では蛇足かもしれない。しかし、もはやこれら二作について語る人間はBFC3の舞台上においてはわたししかいない。戦いが進むにつれて、各作品に対するTwitterでの言及が下火になっていく様子を見ていた。BFC3が終わって、数ヶ月が過ぎたのちに、あらためて作品を読んで感想を発表する人間がどれだけいるか。少なくともわたしが観客だったらそんなことはしない。だから思いついたことは書き残しておく。二度と書かれ得ないかもしれないから。
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BFC1の決勝ジャッジ樋口恭介は、北野勇作「【ほぼ百字小説】(1783)」を、「手持ちのものさし」が適用できないがゆえに「無限性」を帯びた「素朴な散文」と評して優勝作に選出した。
BFC2の決勝ジャッジ竹中朖は、蜂本みさ「ある雨の朝アクラクは」を「ここで終わらない何か」や「向こう側」を感じさせると評し、「手札の今後の広がりと深化を期待」するとして優勝作に選出した。
非常に乱暴にまとめるなら、これまでの優勝二作はいずれも、ジャッジしきれない要素を孕んでいるがゆえに選びとられたと言えるかもしれない。もっとも、これはBFCに固有の傾向ではない。ジャッジしきれない要素とはすなわち可能性の諱であり、完成度やまとまりの良さよりも今後の可能性を強く感じさせる作品が推されることは、種々の文芸選評を見る限り珍しくないように思える。
わたしたちは時として、読めたテクストではなく読めなかったテクストに惹かれる。可能性、無限性、未知、広がり、深さ、ポテンシャル云々。書かれているはずなのに読み取れないもの、書かれていないはずなのに読めてしまったもの、正読よりも誤読のきらめきを愛でたくなってしまうこと。その時わたしたちは一体何に惹かれているのか。膨大に続く文字列を目で追い続けているうちに、わたしたちの視線は、意識は、感覚は、言葉の先へと射出されている。
BFC3の抱負で私は「読むことと書くことの絶えざる反復の一部をあえて「ジャッジ」と名指すことの意味とそれによってのみ到達できる場所について」考えたいと見栄を切った。あるテクストを読んである人が評を書く。あるテクストを読んである人が創作をする。そうして生み出されたテクストもまた別の評や創作を生んでゆく——別に美しいテクストの生態系のようなものを夢想したいわけではない。ただ、テクストがそれを読んだ人間をほんの少しでも揺るがした時、そのテクストは開かれ、遅延する。完全で、読み終わることが可能なテクスト、それは誰にも読まれたことがないテクストに他ならない。
ゆえにここに、BFCに存在する全てのテクストは未完である。坂崎かおる「泥棒コロッケ」で「スミコ」は「未完の物語は読み終われないからいいんだよ」と言う。あるいは左沢森「気持ちじゃなくて」の「街灯のまわりだけ雨が降っている」とは、書かれたテクストと書かれなかったが確かに存在するテクストの全き具象にも見える。
決勝の場に提出された二つのテクストはそれぞれ別のかたちで<読みきれない>作品であった。「泥棒コロッケ」はそのどこまでがメタファであるのかが判然としない超現実的な日常風景の描写によって。「気持ちじゃなくて」はそもそも、個別に読解可能な短歌30首の群であるという時点で、そこから広がる物語世界は一人の読者の認知限界を優に超えているように思える。ではこの読みきれなさに何が潜んでいるのかを個別に可能な限り解きほぐしてみたいと思う。
坂崎かおる「泥棒コロッケ」
個別具体的なモチーフをふんだんに使用するスタイルは継承しつつも、前二作では各モチーフが世界観の深化やイメージの重ね合わせを担っていたのに対し、本作ではむしろそれらが常に物語を脱臼させ、読み進めるごとに世界が刷新されているかのような印象を与える。ゆえに本作は、蒸発した「スミコ」のイメージに後ろ髪を引かれ続ける物語構成にもかかわらず、その読み味には即物性の連鎖によるドライなグルーヴが漂う。
無論、実際にはそれぞれのモチーフが要所要所で効果的にはたらいていることは言うまでもない。たとえば、<すべからく〜べし>の誤用による係り受けの不完全性が、「未完」というキーワードを本文全体へと伝染させる役割を担っていることは明白である。あるいは「コーギー」というモチーフについては、執筆時期を鑑みると、中国当局によるコーギー撲殺事件への目配せを深読みできるかもしれない。この視点を深掘るなら、「私」が「須く」の文字から連想した「自己の利益になる間は、須らく人を愛すべし」が『吾輩は猫である』の一節である点にも注目できる。これは、蚤に喰われた「吾輩」が自分を遠ざけるようになった人間たちの薄情さを愚痴る場面であり、本作において、登場人物たちの欲望や感情の投影対象として翻弄され続ける「コーギー」の存在を示唆する布石とも読める。加えて言えば「私」が想起した『吾輩は猫である』が漱石の処女作であるのに対し、「スミコ」が読んでいた『明暗』が漱石の遺作である点も二人の対比を暗示する効果を果たしている。
しかしそれでもやはり、本作の読後感はさながら筆の走った即興小説のように思えた。本作は個々のモチーフや出来事が世界観を立ち上げるよりも速く物語が転がりだす。これは現在進行形のわたしたちの意識にも似ている。さまざまな出来事が意味付けされるよりも速く、わたしたちの意識は進む。感情は後からついてくるに過ぎないし、善悪は遡及的にしか判断され得ない。
冒頭で「スミコ」が残した「須くコーギーはカニクリームコロッケになるべし」は、俳句の定型よりは長いが短歌の定型よりは短い。現実の素描よりは主観が挟まれているが、いまだ感情や物語には至っていない。そんなわたしたちの意識の中途半端さが、この俳句と短歌の隙間に散文として滑り込みうることを本作は示しているように思えた。
未完の作品には二種類が考えうる。一つは作中で挙げられているような、作者の消滅による絶筆。そしてもう一つは、読むよりも早く書き続けられている現在進行形の事象である。本作は「私」の現在に限りなく漸近することによって、作品を整形され分析された過去、すなわち<物語>として定着させようとする引力を振りほどかんとしている。
左沢森「気持ちじゃなくて」
一見すると前二作からスタイルを引き継いでいるように見える。しかし、これまでの大都市を想起させるワード——「下北沢」「東京」「山手通り」「ビル」「田園都市線」など——が消え失せ、代わりに「キオスク」「ミスタードーナツ」「なか卯」「karaoke」といった<均質な>ワードが前景化している。具体的な場所と紐づいたワードはおそらく「関東」と「南部バス」のみだろう。これは無論、本作が都会と故郷の往復を想起させる連作だからという点が大きいだろうが、より純粋で匿名的な日常に接近してゆく試みとして読んだ。ここにおいては、三十首詠という本作の形式に一ヶ月のまとまりを連想することもできるだろう。ここに、不連続な点の集まりにわたしたちが時間の連続性を見出してしまうことが指摘されているように思える。
では本作が描く日常とは何なのかというと、それは無論、単なる現実の無機質な反映ではない。しかし同時に「気持ちじゃない」のである。
「こんな街住んでみたかったって言う お金じゃなくて 気持ちじゃなくて」
お金=物理的に立ち上げられた現実でも、気持ち=主体の認知的な世界(≒物語)でもない狭間。現実にも物語にも回収されない「こんな街」に「住」むにはどうすればいいのか。それは「お金」の問題も「気持ち」の問題も追いつけないうちに「こんな街住んでみたかった」と「言」ってしまうことだ。すなわち、詩歌という文字と韻律が不可分な領域にその「こんな街」が潜んでいることを表明する、本作の立ち位置を暗示する一首として読んだ。
そして本作はこれ以外にも、現実と物語のどちらにも回収され得ない言葉ならぬ言葉の世界を詩歌の表現によって立ち上げている。
「ぶら下げていたイヤホンをまた耳に入れると冷たいと音がする」
ここにおいて「冷たい」という「音」は心の声であり、イヤホンから流れる実際の音であり、声になる以前の反射の喩えでもありうる。加えて、四/五句目は字数的には「入れると冷た/いと音がする」と分けられるため、「冷た」という感覚が認知よりも一瞬早く駆け込んできている実感が韻律の面から演出されている。
「南部バス なか卯 karaoke 文字があると読んでしまうしわかってしまう」
まさに読者が作品を読んでいる最中に「文字があると読んでしまう」と指摘されることで、現実世界でわたしたちが看板の情報を無意識的に摂取している事実を巧妙に首の中に立ち上げ直している。そしてこの首は、第一に、純粋にテクストとして「南部バス」「なか卯」「karaoke」がどういう意味なのか理解できる、と読める。第二に、「南部バス」「なか卯」「karaoke」という看板が否応無く目に入ってしまうシーンの描写として読める。第三に、「南部バス」「なか卯」「karaoke」が並存している状態から自分の故郷の現状がわかる、とも読める。純粋なテクスト/それが表象する特定のシーン/そのシーンから想起しうるストーリーの描写の三パターンが重ね合わされているこの首を読んだわたしたちは、「わかってしまう」と言われた時に自分がなにを「わかっ」たのかを瞬時には判断できないが、「わかっ」た実感を先取りするように得てしまう。そしてその実感から巻き戻すように自分がなにを「わかっ」たのか——すなわち自分がこの首をどのように読んだのか、を補完する。
無論、こうした表現特性は詩歌全般に内在したものであり、どこまでが厳密に本作の達成であるのかを分析しきれたとは到底言えない。だがわたしには、決勝の二作品はいずれも、日常に寄り添いながら、それを無味乾燥な現実にも硬直化した物語にも押し込まずに、語り続けてゆくための試みをしているように映った。
この論点において、「泥棒コロッケ」には、固定された物語から脱出して語り続けるための速度にまつわる試みという点で新しさを感じた。一方「気持ちじゃなくて」には、連続した時間という前提から離れた非連続な時間のあらゆる点を、それを読んでいるわたしたちの<今>として立ち上げるために詩歌がなしうることを見せられた。そしてわたしは後者に、より遠くまで届く可能性を感じた。わたしたちがテクストとして何かを定着させようとするときに失われてゆくものたちを、テクストの技芸によってもう一度包み直すこと。それができうるのではないかという可能性を強く感じた。
優勝は、左沢森「気持ちじゃなくて」
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準優秀
坂崎かおる
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ジャッジ
青山新
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決勝作品
泥棒コロッケ 坂崎かおる
気持ちじゃなくて 左沢森
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ブンゲイファイトクラブ3の決勝ファイターは以下の2名に決定いたしました。
坂崎かおる 「フラミン国」
左沢森 「ハーバード」
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準決勝ジャッジ決定
青山新
冬木草華
由々平秕
鯨井久志
ジャッジをジャッジ
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準決勝ファイター決定
準決勝作品
「袖をひく石」 宮月中
「フラミン国」 坂崎かおる
「ハーバード」 左沢森
「Lata Echne」 伊島糸雨
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ジャッジによる1回戦作品採点
出場ファイター・ジャッジ・最終選考対象者発表
本戦ファイター
「幸せな郵便局」 竹田信弥
「成長する起案」 鞍馬アリス
「夏の甲子園での永い一幕」 夜久野深作
「花」 宮月中
「連絡帳」 星野いのり
「矢」 金子玲介
グループB
「金継ぎ」 藤田雅矢
「5年ランドリー」 坂崎かおる
「第三十二回 わんわんフェスティバル」 松井友里
「小さなリュック」 薫
「沼にはまった」 さばみそに
「フー 川柳一一一句」 川合大祐
グループC
「超娘[ちょうむすめ]ルリリンしゃららーんハアトハアト」 首都大学留一
「中庭の女たち」 コマツ
「バックコーラスの傾度」 堀部未知
「銘菓」 左沢森
「やさしくなってね」 白城マヒロ
「ロボとねずみ氏」 紙文
グループD
「イカの壁」 鮭さん
「生きている(と思われる)もの」 瀬戸千歳
「お節」 小林かをる
「カニ浄土」 生方友理恵
「明星」 藤崎ほつま
「爛雪記」 伊島糸雨
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最終選考対象作品
「イグナシオ」 十三不塔
「お湯になるのを待つ」 十波一
「殻」 寒竹泉美
「城山公園」 村崎夏生
「積層」 川㟢雄司
「先生のおしえ」 馳平啓樹
「誰も行けなかった塔のうえに」 相曽大剛
「どあたまえっぐごりごり」 小西真由
「トピアリーを眺めている」 青島もうじき
「八之字医院」 酒匂晴比古
「ボット君」 高山サトシ
「2021年10月からの埼玉県人」 ランチョンマット目グミ
「モナニアム・パスワード」 通天閣 盛男
「歴史の海」 カツテイク
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本戦ジャッジ
大江信
由々平秕
青山新
冬木草華
遠野よあけ
寒竹泉美
阿瀬みち
鯨井久志
鞍馬アリス
樋口芽ぐむ
小林かをる
笠井康平
行き止まりから戻る人のために 大江信
このようにして、私はあなたの作品を読むだろう 由々平秕
古墳・距離・結晶 青山新
自覚と葬送――きのこ帝国「クロノスタシス」批評 冬木草華
「死者との対話」に思うこと 遠野よあけ
自分自身に対する尊厳を取り戻す 寒竹泉美
社会構築物としての小説を読む 阿瀬みち
少年の孤独と甘美な逃避――ガードナー・ドゾア「海の鎖」より 鯨井久志
中井紀夫「山の上の交響楽」について
鞍馬アリス
BFC2に思う 樋口芽ぐむ
本を棄てる 小林かをる
もしものことがあったらいいね 笠井康平
ジャッジ担当振り分け
グループA 阿瀬みち 遠野よあけ 青山新
グループB 樋口芽ぐむ 大江信 鞍馬アリス
グループC 小林かをる 由々平秕 冬木草華
グループD 笠井康平 鯨井久志 寒竹泉美
ジャッジ作業
ABCD各グループの勝ち抜けファイターを1人選ぶ
24名のファイターを5段階で採点する
自分の担当グループの批評を2枚~5枚程度執筆(どうしても足りなかったら8枚まではOKとします)。6作品すべてに言及する
ジャッジ・ファイター兼務のかたはファイター参加しているグループの勝ち抜け評価・採点は不可
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ファイターとジャッジ BFC3開催にあたっての抱負
竹田信弥(たけだ・しんや)
今回小説を書いて、自分が今まで読んできたもの全てが味方でありライバルなんだな、ということを考えていました。
鞍馬アリス(くらま・ありす)
またこの騒乱の渦の中に足を踏み入れたのかと思うと、茫然とする他はありません。私の作品が強いかどうかはわかりません。ただ、他の方は恐らく書かないのだろう作品を書いているという確信が消えたこともありません。そんな確信を込めて作ったお話に素晴らしい舞台が与えられたのであれば、茫然としつつもそれを喜び、楽しみたいと思います。ジャッジも楽しみながら頑張ります。どうぞよろしくお願い申し上げます。
夜久野深作(やくの・ふかさく)
本戦出場、本当に光栄です。面白いと思ってもらえる作品になっていれば幸いです。「誰も知らない」「無名の新人」「ノーマーク」。自分にはなんとも“おいしい”条件が揃っています。有名無名関係ないブンゲイファイトクラブの面白さと怖さを、今大会では俺が見せますよ、カマしますよ。超楽しんでいきますので、超楽しみましょう!
宮月中(みやつき・ちゅう)
もしも世界がRPGなら僕は戦士と言うより呪術師です。剣も拳も掲げず、正面から挑まず、後方に徹し、弱そうな顔して、優しい顔して、なんだか平凡にも思える小説を、けれども一度目を通してしまったら決して後戻りはできず、いつかあなたの気づかないうちに、あなたのなにかを決定的に変えてしまうような小説を書きます。無害に見えるもので戦うのが僕の流儀です。雅かつ邪悪に。
経歴: 第一回、第二回「阿波しらさぎ文学賞」で文学協会賞。第四回同賞で徳島新聞賞。徳島文学vol.4に「蘭」を掲載。
星野いのり(ほしの・いのり)
【抱負】
俳句で全員倒します。
私の俳句は、この企画の多様性を確保するために在るわけでも、数多の散文に花を添えるために在るわけでもありません。
お前の息の根を止めるために書きました。
対戦よろしくお願いします。
【告知】
俳句四季新人奨励賞・受賞後第一作が、月刊『俳句四季』にて近日掲載予定です。『文藝春秋』8月号の掲載作品がオンライン公開されました。よろしくお願いします。
@hoshi_no_inori
金子玲介(かねこ・れいすけ)
二年ぶりに、リングに立たせていただくことになりました。少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。私もここぞとばかりに楽しみます。
藤田雅矢(ふじた・まさや)
抱負:一度目は観戦、二度目でオープンマイクを握り、三度目は参戦いたします。SFと植物好きな人です、お見知りおきを。
坂崎かおる(さかさき・かおる)
とりあえず読んでください! グローブもマウスピースも身につけていませんが、ピーカブーで待ってます。
松井友里(まつい・ゆり)
せっかくの機会なので楽しみたいと思います。
薫(かおる)
いいの書けたんで読んでください。あなたの感想と、判断を待ってます。
さばみそに(さばみそに)
前々回、とても楽しく拝見させていただきました。
前回は、楽しさだけではなく、このお祭りに参加したいという気持ちが少し芽を出しました。
今回は、開催の連絡を受けて、芽が一気に育ち、作品という実がなりました。
作品を応募することでお祭りに参加できたと満足していましたが、まさか本戦に出れることになるとは思ってもみませんでした。
最後まで全力でお祭りを楽しみたいと思います、宜しくお願いします。
川合大祐(かわい・だいすけ)
自分のやりたいことをやりに来た。それ以上でもそれ以下でもありません。ただ……川柳で、人とファイトできるのは嬉しい。
首都大学留一(しゅとだいがく・りゅういち)
参加にあたってなにかしら自分にリスクを課したいという気持ちが空転してブンゲイファイトクラブ3応募作品に付ける任意の6桁番号をぼくの汚辱アイフォンのパスコードと同じにしました。自分の暗部・汚辱への鍵を人に預けたという気持ちで頑張ります。
コマツ(こまつ)
ここに立てて本当に嬉しいです。全力をつくして戦います。どうぞよろしくお願いいたします。私は強い! やったー!
堀部未知(ほりべ・みち)
ほとんどはじめまして。堀部未知です。
書類送検された気分です。今後身柄の拘束はあるでしょうか。腰のひけたファイティングポーズはダチョウ倶楽部みたいです。がんばるぞ。やあ。
左沢森(あてらざわ・しん)
短歌をやっています。
暑い日がつづくそれからしばらくして遠くの信号が青になる / 左沢森
だいたいいつも掲載媒体がなくて困っているので、今回予選通過して発表の場を得たのはなんかファイトしてる実感がある。
白城マヒロ(しらき・まひろ)
BFC3落選展を読みながら、非常に面白い作品たちが落選してしまったことを目の当たりにし、そのなかから本戦に選んでいただいたことのプレッシャーをずしりと感じています。
しかし自分は自分の「ブンゲイ」を信じ、震える足で最後まで立ち続ける所存ですので、ファイター・ジャッジの皆さん、各々の思う「ブンゲイ」で存分に殴り合いを続けましょう。
紙文(かみかざり)
なのだ!
鮭さん(さけさん)
この度はbfc本戦に出場させてくださりありがとうございます。頑張り頑張り頑張り頑張ります!!
瀬戸千歳(せと・ちとせ)
お祭りに参加できて本当に嬉しい。
私の祈りを捧げます。
小林かをる(こばやし・かをる)
私はもう還暦も過ぎて、主人に言わせると「皺くちゃ豚ばばあ」である。普段考えることと言えば食事の献立とささやかに投資しているアメリカ株のことだけである。情緒がない。潤いもない。
でもBFCの公募を見て、するするとオープンマスクに「炎の記憶」、ファイターに「お節」、ジャッジに「本を棄てる」、イグBFCに「奴隷券」を書いた。
自分のどこにこんなことを考える部分があるのかわからない。BFCは私には未知の自分へのトリガーなのだと思う。小説やエッセイを書くなんて素敵なことだ。私にもまだそんなパーツがあるとは自分が一番驚く。
おそらくファイターの誰もが未知のそしてもしかしてコアな自分の表現なのだと思う。そんな作品に巡り合うことの悦楽。生きていて良かったです。
生方友理恵(うぶかた・ゆりえ)
たまに戯曲とか詩を書いている者です。長い文章を書くのはいつも難しいです。がんばります。
藤崎ほつま(ふじさき・ほつま)
過去二回の落選経験からBFCの傾向を自分なりに汲み取り、勝手ながら普段とは違う制作の機会として活用させていただくことにしています。
ただそれでも書き手としての欲求は抑え難く、それが前面に現れたのが今作です。
ここまでサービスすれば文句ないだろ、という自負心から積極的に「勝ち」に出ています。
本戦のリングに立つからには自己満足で終わらず、全員を殴り倒すつもりでいきます。
参加者の皆様、よろしくお願いします。
伊島糸雨(いとう・しう)
この度、新たな戦場へとお招きいただいたこと、大変喜ばしく思っております。私は普段、百合やSFといったジャンルを主軸に活動しているのですが、最近はアンソロジーに寄稿させていただく機会も増え、戦いの場の広がりを実感しているところでのBFC3でした。初参加ということで緊張はもちろんあるのですが、私も小説も、今持てる力のすべてを賭してファイターの皆様としのぎを削り合えることが、今は何よりの楽しみです。
対戦、よろしくお願いします。
大江信(おおえ・まこと)
(トゥルィックゥォアトゥリィートォじゃねえよ、イントゥイシィェンだろうここは。)はい、始まりましたよ、オールナイトニッポン。(ほら!)あい、鳴った。#battaの「哀しみに唾を吐いて」。聴いてみや~??(上げ)オオエマコト、元六枚道場勢、戦績#BFC2ジャッジ部門(「陳腐な言葉で愛を君に」、1回戦敗退)、#BFCオープンマイク(112アップルパイ)、#イグBFC2(「走りながら村上春樹が僕に語ったこと」)、#BFC3ジャッジ部門(「行き止まりから戻る人のために」)~♪~(上げ)ヤベッ(下げ)#battaの「哀しみに唾を吐いて」は、#坂本九「幸せなら手をたたこう」のアンサ~ソングゥなんだ。もう一回最初から聴いてみよ。(ああ、同時にどっちもなっ!イントゥイシェィンだ)ここはべーエフィシエイ、どうぞ。よろしく(上げ)??
由々平秕(ゆゆひら・しいな)
こんにちは、由々平秕です。あなたの言葉と格闘します。よろしくお願いします。
青山新(あおやま・しん)
さまざまな方の作品を読んでさまざまに書きたいです、よろしくお願いします。
読むことと書くことの絶えざる反復の一部をあえて「ジャッジ」と名指すことの意味とそれによってのみ到達できる場所について、少しでも考えられたらなと思っています。
冬木草華(ふゆき・そうか)
私は今回はじめて批評文というものを書きました。私の書いたものを読んでいただければ、それもわかると思います。しかし、私はジャッジとして応募し、選ばれました。それに応えるには、私は、私のできる限りを尽くすしかありません。誠意をもって、真剣に取り組みます。
この闘いに参加できることは私にとって限りのない幸福です。
最後に、BFCを支えてきたすべての人々に感謝を。
遠野よあけ(とおの・よあけ)
よきぶんがくのよきはぐるまになりたい。
寒竹泉美(かんちく・いずみ)
ジャッジをすることでその作品がいっそう輝くような、そんなジャッジがしたいです。
阿瀬みち(あぜ・みち)
ペンギンのように作品世界に潜りペンギンのように刺します! がんばるぞ~。
鯨井久志(くじらい・ひさし)
本という、必ずしも人生に必要でないにもかかわらず、なぜか――ゆえに?――あり続けるものの謎に、ずっと心惹かれて生きてきました。今回の大会とジャッジ経験が、その謎を解き明かす端緒となってほしい。そんな思いで応募しました。いまの自分の力の及ぶ限り、全力で臨みたいと思います。何卒よろしくお願い致します。
樋口芽ぐむ(ひぐち・めぐむ)
できるだけ易しい言葉を用いて、「この作品おもしろそう」と読み手の関心を惹けるよう心がけます。
大谷翔平のような、小さな花みたいな、毒々しいウミヘビや意味不明の汁みたいな、あらゆる才能と出会えることを楽しみにしています。
笠井康平(かさい・こうへい)
3大会連続出場になりました。今回はユマニチュードに基づく判定を心がけます。
ファイター部門応募者341名
ジャッジ部門応募者16名
ブンゲイファイトクラブは惑星と口笛が運営しています。
作品の権利はすべて作者に帰属します。
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