【しをよむ091】金子光晴「くらげの唄」——てばなすごとに。

一週間に一編、詩を読んで感想など書いてみようと思います。

金子光晴「くらげの唄」

石原千秋監修、新潮文庫編集部編
『新潮ことばの扉 教科書で出会った名詩一〇〇』より)

空っぽの器。あるいは抜け殻。
透き通るくらげの魂を幻想的に歌います。

以前に読んだ「湖水」も好きだったので、
そろそろ金子光晴の詩集を買うべきかもしれません。

水のとらえどころのない美しさを覗き込み、
水中に生きることはできない人間の身をひそやかに哀しみ、
水面という境界に自身の姿と心を写す……。

「湖水」も「くらげの唄」も、なんだかそんなイメージを抱かせます。

波に揺られて浮きつ沈みつするくらげたち。
なびく触手がいっそう「流されるがまま」というか力の抜けた感じに見えます。
ふわっ、……ふわっ、と二、三度傘を動かして、またゆるゆると沈んでいく。
まっさらなノートのような虚心の美しさ。

そこに至るまでの
「ゆられ、ゆられ
 もまれ、もまれた」
過去のこともこの詩では語られています。

年月に余分なものを削ぎ落とされて現れる美しさといえば
高村光太郎の「あなたはだんだんきれいになる」も思い出させますね。
(リンクは青空文庫へ)

それにしても、
「ゆられ、ゆられ
 もまれ、もまれた」
は絶対にひらがなでないといけません。
くらげのたよりないほどの柔らかさ、作為のなさは
丸みをおびたひらがなで表さなければ。

後半に詰め込まれた、夢や幻想のような、あるいは抽象画のようなイメージも
万華鏡のようにロマンのある美しさです。
もしかしたらこれは、ゆられゆられるうちに剥ぎ取られた
くらげたちの——そして私たちの——思考のあぶくなのかもしれません。
内に渦巻いていたときには終ぞ形作れなかったものたちが、
こぽりと吐き出されたとたんに完全な球になって
銀色に光りながら水面へ昇っていくのです。

お読みいただき、ありがとうございました。
来週は立原道造「草に寝て……」を読みます。


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