すずめの戸締まりの感想

すずめの戸締まりを観た。新海誠最新作ということで、それはもう蛇が出てもなんでも楽しくないはずがなくウッキウキで朝9時の回でである。本当に1ミリも前情報を入れず、復習用に過去作を観るか悩んで、やっぱりピュアに観たくて、コーヒー1杯でお腹を空かせて劇場へ向かった。

…という書き出しを保存してから2週間が経った。感想を書こうにも、分からないことだらけで何を書いていいのか分からなかった。この間にも俺的新海誠ランキングは目まぐるしく変化し、もう面白いのかどうかも何も分からなくなっていた。

過去作との比較

今作は確かに「君の名は。」「天気の子」と続く、新海誠新3部作の完結編であり、最高傑作であり、集大成であった。その完成への流れは、徐々に洋次郎の主張が弱くなるという音楽面でもだし、災害の扱い方の変化でもだし、なにより作品のメッセージがより広い範囲に届けられるようになっていくところにあったと思う。

感情推移まで計算され、エンターテイメントとして完成していた「君の名は。」。現代の理不尽に抑圧されたお行儀の良い子供たちへの強いメッセージを感じ、前作よりもメッセージ性が増した「天気の子」。そして、今作「すずめの戸締まり」では、震災孤児は勿論、多くの日本人に何かしらが残る、そんな作品に進化した。そう考えると、新海誠が「最高傑作」というクソデカワードを掲げるのも分かる。

すずめのキャラクターとしての魅力

当然、震災孤児をキャラクターにするのは批判される可能性もあった。にもかかわらず、この映画はその辺のバランスがとても上手かったと思う。(物語として、すずめに何らかの成長や救いが必要という前提で)すずめは、草太さん(とその周りのキャラクター)に依存せずに、あくまで自身によって救われたというのが、当事者を不快にさせないいいバランスだと思う。

この自立具合は、すずめを可哀想なキャラにしないというのと、当事者に「所詮フィクションだ、自分の周りにはこんな優しい人はいない」とも思わせないのがとても素敵だと思う。

しかも、「君の名は。」では、少しご都合主義に感じた魔法(=黄昏時)が、本作では自分を救うトリックになっている、というのも、いい嘘の付き方というか、正しいご都合主義の使い方というか、新海誠アニメならではでそういう点でも集大成に感じた。

では、ある意味マッチポンプ的に勝手に自立したすずめは物語を通して成長していないのか。勿論そんなことはなく、明確に描かれていたのは、すずめの死生観の「死んでもいい」から「死にたくない」という変化だったと思う。それは、旅の終着点で自身のトラウマと共に目を背け続けてきた「死」の恐怖を、改めてトラウマと共に直視したことで、初めて認識したということだった。(なんだか愛城華恋さんみたいですね)

草太さんとラブの薄さ

今作の新海性癖はケツとキスくらいで、すずめと草太さんの関係がイマイチピンとこなかった。すずめの「生きたい」は草太さんに出会ったから、というのもあるんだろうけど、どのくらい好きで、どのくらい原動力になっているかはあまりピンときていない。「俺まだやることあっから」と別れて帰る描写とかを見るに、意図的にラブの強さがどの程度なのかぼかしているような気もする。それどころか、全編を通してライクでも辻褄が合うようにも思える。なので、(今までの新海誠作品と同じ様に)ラブ前提で見ている人には、すずめの(命がけで草太さんを救うという)動機が飲み込みにくかったのかなーと思う。

ダイジンってなんなんだ?

本作最大の謎、ダイジンとは何だったのか。最後は結局またお勤めをすることになって、なんだか可哀そうに思える。ダイジンとすずめ、すずめと叔母さんの対比とか、すずめと草太さん、ダイジンとサダイジンの対比とか、いろいろ考えられる種はある。しかし、新海誠本2を読むとどうもダイジンは普通に神様らしい。ということで、生きたい人間に対して、それを否定することは出来なかった、結局は人間がかわいい、それだけなんだと思う。負債を背負うのは大人の役目、みたいなものも感じられなくはないが。

おわり🚪

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?