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日記と認知

日記1

日記を書いてみる

元々、ScrapboxというWebサービスを利用して、個人の日記というか、日々のメモを自分だけが読める形で細々と書いていました。それをそのまま放置するのではなく、日々のアウトプットとして投稿するとよいかも~?と思ったので、つらつらと書いています

私は大学でデザインを専攻しながら、イラストや映像作品を制作しています。最近は大学の方が忙しく、投稿出来るような作品が無いため、代わりに日記を書くことで何か残せればいいな~と考えています

Twitterではこのような作品を投稿しています。良かったらフォローしてね(「良かったらフォローしてね」という文面、なんか甘ったるくて良くない気がしている)

変な画面・映像が好きなので、そういう話もしていきたい


日記のタイトル、どうすれば良いか問題

こういうプラットフォームで「日記」というコンテンツを発信する時、どういうタイトルで投稿すれば良いのか、結構悩む。タイトルを「2023年12月5日の日記」のような日付にしても良いが、これって後から見返しても何について書いてる記事なのかタイトルでは分からなくて面倒だ

ふと「星のカービィ」「大乱闘スマッシュブラザーズ」シリーズを手掛けたゲームディレクターの桜井政博さんが運営している「桜井政博のゲーム作るには」が思い浮かんだ

「桜井政博のゲーム作るには」Youtube再生リストより引用

動画ごとに【サウンド】【雑談】みたいなジャンル分けがされていて分かりやすい

タイトル付けの参考になるかと思ったけど、日記は日記であって何か伝える事を目的とした記事じゃないから、ジャンルで幅を規定してしまうのは良くない気もする

でも見返したときに、ある程度ジャンル分けされていると、整っている気がするし見ていて気持ちが良い

うーん。後々決めていけばいいか~!


SNSで発信しない = 存在が忘れられてしまう、的な

心の奥底では、SNS上に何かを投稿しなければ忘れられてしまうのではないかという恐怖に怯えている気がする。本当か?

別に存在が忘れられてしまう、とかそういう訳ではないのですが、私のような「自分のクリエイティブを広めたい」という人は、作品を作ることと同じか、それ以上に「周囲から認知されること」を要請されている気がしている

認知されなければ作品の質がどれだけ良くても、それに興味を持ってくれる顧客が現れないので、当たり前の話ではあるのですが

ただ、「認知される」というのは"状態"の話であり、"状態"を整えたからと言って作品自体のクオリティが急激に向上する訳ではない、というジレンマもある

個人的に、SNSでのクリエイティブの実態は「作品の質を上げる→認知が広がる」ではなく「認知が広がる → 作品の質が上がる」という流れになっているのでは、と思うことも多い。なんとなくですが

あ~ なんか軽率にバズが起きて有名人になりたいな~~!!とか考えていた1日でした


画材屋の前で発見

大学内に、美術作品なのか工事の材料なのかギリギリ分からないラインの謎物体があった

これは多分、作品……!

おわり

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