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異常を受け入れる

異常な物事を、異常な物事として受け入れる難しさ

大学構内に生えている木の根元に、謎のデカい骸骨の模型(全身)が置かれていて、地味に話題になっていたのだが、いつの間にか撤去されていた。あれが作品だったのか、いたずらだったのか、何だったのかは分からない

こういう時、「あ~写真撮っとけばよかった~~~」という後悔をしがち

よくよく考えると変な状況だったけど、その時は何も思わなかった、というケースが多い。日常生活の中に突然現れる"異常"を無意識に日常生活の尺度に当てはめて、"正常"だと見なしてしまっている。そういう風に処理しなければ、生活に疲れてしまうのだと思う

アルファツイッタラーのツイートやブログを読んでいると、"異常"ってそんな頻繁に発生する!?と思うことがあるが、実際は私の身の回りでも同じようなことが沢山発生していて、その上でスルーしているのかもしれない

そう考えると、アルファツイッタラーのすごさというのは、異常な状況に何度も遭遇しているということではなく、異常な状況を異常な状況として受け入れる感性の鋭さなのだろう


充電し忘れの大罪

現代において、スマホの充電し忘れは致命的なミスで、場合によっては財布を忘れたり、家のカギを閉め忘れたりすることより重い罪なのはないか、と思った


一般教養の授業をまともに受ける人は少ない

専攻と関係のない一般教養の授業は、殆どの人が話をまともに聴いていない。3割は寝ていて、5割は別の作業をし、残りの2割が真面目に受講している。これは別の大学で受講した時も同じ雰囲気だったので、多分どこの大学生も似たような感じなのではないか

スティーブ・ジョブズが「たまたま取ったカリグラフィーの授業が後々にMacの設計で役立った。人生は何と何が結びつくのか分からない。だから色々やっておくといいよ」みたいなことを言っていた

実際、デザインや創作の分野では、既存のアイデアに、全く関係無い分野の手法や知識を組み合わせることで斬新な作品を生み出すことが多い

教授も「美大では直接的なアイデアや技法を教えすぎている。もっと滅茶苦茶な事をして、思考を飛躍させるべきだ。飛躍すればするほど面白いモノが生まれる」とかなんとか話している

だけど、興味のない分野の、いつ参考になるのか分からない知識を勉強するのって結構ハードな事だ

だからこそ、価値があるんだろうな~とか考えながら、今日の授業はずっと寝ていた

今はオンデマンドで配信している授業もあるので、授業を受けながらイヤホンを付けてPCで動画を観ている人もたくさん居るね

授業の入れ子構造?



季節のイラストは描いた方が良い

「骸骨」で思い出した。パイプくんのハロウィンイラストのラフ案

季節のイラストは再利用性(再投稿のしやすさ)が高く、一度制作すれば来年も使いまわせるのが良い。だから多くのイラストレーター・絵師は季節のイベントを逃さず投稿している

私も本当は月ごとのイラストとか、もっと言うと毎日投稿の小さい作品群をコンスタントに投稿したいのだけれど、最近は本当に忙しくて時間が取れないでいる

本当は「忙しい」というのは半分嘘で、今noteに書いている日記の時間を削減すれば投稿できるはずなのだけれど

やる気が~

おわり

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