東京を離れる、宮崎に行く。その上で不安な事。
こんばんは。
前回記事と前々回の記事で、宮崎に行く事は、
地元に「帰る」のではなく、新たな地に行く挑戦である事、
「いつか帰ろう」が「今、行こう」になった事について書きました。
これから梨園をやっていこうというのは、途方もない挑戦になる事は確かで、もしかしたらただの無謀なのかもしれません。
でも、今やらないといけないと、直感的に感じている節があります。
今の梨園は父親が一人で見ています。
近くの農家さんの助けを借りながら。
そうやって助けてくれる方々がいるのも、ひいじいちゃんの代から続く梨園を、父親が絶やさなかったという事実があるからだと思います。
※梨園の歴史については、新刊『曖昧だけど』の中で触れています。
歴史が続いているんですね。
父親から梨園の歴史について聞いた時に、
「あ、俺が途絶えさせるわけにはいかないんじゃないか?」
と思いました。
家の歴史が縛りになってしまうという事も考えました。
俺は、もっと東京で活動していきたいんじゃないだろうか。
そもそも東京の方が過ごしやすいのは紛れもない事実だ。
でも今このタイミングで、宮崎に行って、梨園をやる事に決めました。
この決断をした所、意外な出来事が起こりました。
凄く凄く意外でした。
父親とばあちゃんが、全然喜ばなかった。
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