何で宮崎に行くのか。

2024年7月、宮崎に移住します。
生まれ育った「宮崎に帰る」のではなく、
「新天地に行く」というニュアンスの方が合ってる気がします。

「いつか宮崎に帰ろう」とは、ずっと思ってました。
ずっとと言っても、31歳で芸人を引退してからのことです(今38歳です)。

芸人を引退してから初めて、実家の梨園の作業を手伝いました。
毎年8月9月に収穫しています。
9月の方は量が多いので、この時期に帰省して収穫作業を手伝っていました。

ここから、僕を通じて梨を買って下さる方が増えて、僕はこの時初めて我が家の梨が美味しい事を知ります。

食べて下さった方々からの反応が凄かったんですね。

「びっくりするほど美味しかった。」
「こんな美味しい梨食べた事ない。」

とにかく絶賛して頂きました。
自分でも他の梨と食べ比べをしてみたのですが、
「え、おいしっ。」て思いました。

一番絶賛してくれたのは妻です。

「この梨を絶やしてはいけない。」

我が家の梨園は今は父が一人で見ていて、父が辞めたらもう終わりというタイミングだったのです。

うーん、この梨園をやるのは俺しかいない。
俺が絶やしてしまって良いのだろうか。

芸人引退後に梨園を手伝い始めて、そんな事を思うようになりました。
いつか地元に帰ろう。そして、梨園を存続・発展させるんだ!

そんな事を思い始めはしましたが、東京の生活が楽しくて、生活し続け、生活に馴染み、その生活の中で、沢山の沢山のご縁がありました。

いつか宮崎に帰ろう。

そう思ってはいたけど、なかなかそれを実行するイメージが湧いていませんでした。「いつか」って言葉が、勝手に遠い未来を描かせますよね。

昨年頭に、母の癌が分かって、闘病生活が始まります。
昨年の9月も、例年通り収穫作業に帰りましたが、
いつもと違うのは、母が闘病している事と、それが理由で母が梨園作業には加わっていなかった事です。

そして、この収穫時の帰省中に、僕がコンビを組んでいた「一粒万倍」が突然解散する事になりました。
※2022年に、芸人引退後に知り合った友人とお笑い活動を再開させていました。「一粒万倍」はそのコンビ名です。

この時に、「あ、もう宮崎帰ろう」と思いました。

もう東京でやることは無くなった。そう思った気がします。
母と姉に「もう宮崎に帰ってこようかな」と、その場で話した覚えがあります。

11月に独演会を控えていたので、それが終わったらもう帰ろう。
そう思っていました。

独演会は無事に開催され、その中で「宮崎に帰ります!」と高らかに宣言して幕を降ろしました。

そこから約7か月経って、ようやく宮崎移住の日程が決まりました。
宣言したものの、まだ先まだ先というのが中々拭えませんでした。
いざ東京を離れるとなると、寂しさや未練がとめどなく出て来たような気がします。

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