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『レッド・ベルベット』

 多田由美さんの新連載が始まっていたことに、2巻の発売の少し前に気づいた。間隔を開けずに読めるのもまあいいよな。発売にあわせていくつも企画が仕掛けられていて、1/12にやっと個展とトークイベントに足を運んだ。

 自分はあんまり漫画に造詣が深いわけではなく、彼女を知ったのは神林長平『戦闘妖精・雪風』のコミカライズ(とOVA)がきっかけで、読めている作品もプラスアルファという感じなのだが、一読して深い印象を残す作家だと思う。ロックを愛していて、アメリカン・カルチャーへの憧憬がある。『雪風』なんかも決して緻密ではなくラフな筆致なのだが、シンプルで無駄のない線で美しい。一貫して貧困層の、抗いようもなく暴力や悲しみに絡め取られていく若者たちを描く。そこに呑み込まれるような共感がある。なんとなくブレイディみかこさんを思い出す。ブレイディさんもやはりワーキングクラス出身で、ロックを深く愛してイギリスへ向かった。ワーキングクラスから脱することなくそこに身を置き、地べたから拳を突き上げている。多田さんはそういった闘い方ではない。二人はどこか表裏一体のように思える。どちらがいいということではなく、どちらも暗闇の中の灯火のような仕事だ。

 ずいぶん商業誌での連載や新刊が出なかったので、新連載はうれしい。あんまり長編を描かない人なので、未知の感覚がある。連載のよさというのは、やはり読み手も書き手や登場人物たちとその道行きをともにできることだと思う。『レッド・ベルベット』もその行き着くところへ、過不足なく行ってほしい。

 という感じで阿佐ヶ谷の個展へ行ってきたのである。デジタルで描かれたものの複製原画とポストカードサイズの水彩画が展示されている。どちらも購入できるが、貧乏なので眺めるだけだ。でもこうして生で観るとやっぱり感動がある。いつか原画を手に入れたいものである。。。絵のことはさっぱりわからないけど、この人のハイライトの入れ方が好きだ。白はほとんど使わず(最近は使うようになってきたらしいが)、肌の色の重ねかたがとても美しい。そしてやはり、人物の表情に不思議な引力を感じる。なぜかずっと見つめてしまう。

 じつはこの人の文章も好きだ。うまい文章とかではないし、母語ではない標準語(彼女は大阪の人だ)で書くぎこちなさもあるが、透き通ったものに溺れながら少しずつ光の方へ泳いでいくような文章。

 トークは水彩画の描き方(『プレイボーイ』のピンナップ画家であるアルベルト・ヴァーガスの画集をバラバラに解体するまで研究した)から、『レッド・ベルベット』の主人公たちの名前の由来となったアメリカのコメディードラマの話(どうしようもない人間関係や生活から抜け出そうとするが、結局ズブズブになってしまう)、レッド・ベルベット・ケーキについて(ケーキ作りは料理よりケミカルな印象があり、化学変化で全く違ったものになるから作るのもそれを見るのも好き、とのこと)、ロックの話、取材を兼ねたイーグルスのライブ遠征旅行のことなど。途中でレッド・ベルベット・ケーキが振舞われる。日本人にはあまり馴染みのないケーキなので、こういう場で味わえるのはすごく面白いし、(知らない人たちだが)同好の士とみんなで食べるというのもとてもよかった。物書きの人たちのトークイベントにはわりと行くんですが、視覚的な仕事をしている人の話はあまり聴いたことがなかったこともあって、多田さんのものの見方や考え方が新鮮で興味深かった。トークイベントはあまりやったことがないそうだが、面白かったのでよければまた(東京で)やってください。

 帰りがけにサインの列ができていたので、めったに会える人ではないしと思ってちゃっかり並んだ。向こうもたぶん来たことを喜んでいてくれたし、こちらも(伝わったかはわからないが)楽しかったことを言えてよかったと思う。音楽の好きな人は大抵ライブへ足を運ぶだろうけど、直接人前に出ない仕事の人たちに会いに行くというのもまた違った感動がある。あんまり行かない人もぜひ行ってみてほしい。
 サインの後、「握手しましょう」と言って手を差し出してくれた。しっかりとした、働き者の手だと思った。

 ブッカー少佐の水彩画もこれから展示されるっぽいのでもう一回行かねば。『雪風』コミカライズの続編も、ファンからの要望がぽつぽつあるので描ければ描きたいね、というようなことをおっしゃっていたけど、原作も4部がはじまったタイミングで盛り上がっているので早川書房、マジでお願いします。

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