広く物事を見よう

動物愛護団体で「水族館や動物園は生き物を見世物にしている。許せん」みたいなことを言ってた人がいるが、「水族館や動物園は本来、研究機関だが研究費用が足りないからそうやって営業せざるを得ない」っていうのは事実でどうしても辞めさせたいなら寄付しろよ…っていう話。

反捕鯨とか言ってる国は昔、油の為だけに鯨をとっていて、髭や肉など余すことなく鯨を使い供養までしてきた日本を批判する事はできないのではないかと思う。

批判したいばかりに真相が見えてなかったり、自分達に対してブーメラン発言になったりすることはよくある。そして批判をしてもネガティブな感情以外、何も生まれない。代替案を出すとかクリエイティブな議論が求められる。

私の場合の話

私は高校で自分達の決めた話題について教員や他の生徒などの前で話す機会があり、そこで死刑について話したのですが、「死刑廃止しようと言っている国で銃殺が廃止されないのは殺す必要があるからではないでしょうか。しかも死刑は裁判の後の死ですので冤罪のリスクは抑えられますが、銃殺は冤罪のリスクを抑えられません。そのような事が行われる国の人に死刑廃止論を唱えられても説得力がありません」と言ったらカトリック(死刑廃止派)の先生がめっちゃ不機嫌な表情を見せていた。

彼は日頃から「色んな価値観や考え方を認めよう」とか言っていたのに、本人は出来てなかったのだなと感じた。多分、カトリックの偉い人(神父とか教皇とかそういう人?)が「色んな価値観や考え方を認めよう」と言ったから言ってただけで、カトリックの偉い人の考え方とかと対立するような価値観や考え方は認められなかったんだろうな…と思う。なにかに盲目的になることで、自らそれに反してしまった例である。

まとめ

何かにのめり込むこと、それも必要な事ではあるが、のめり込み過ぎて周りが見えなくなると自爆したり、行き詰まったりすることがあると思う。その為にも私達は広く物事を見ることが必要なのではないだろうか。

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