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にがうりの人 #20 (騒ぎを盾に)

 結局どんよりとした雰囲気を引きずったまま、いやそれは私が持て余していただけであって一方の成美は笑顔を取り戻していた。彼女はこの日も千葉の母親の元へ向かうらしく、駅前で別れた。

 一人になり帰路についても私の頭の中は彼女の今を憂うことでいっぱいだった。いつまでたっても抜け出せないトンネルに迷い込んだようで、希望は傍らにあるのにそれを照らす術がないようで、それは苛立ちに変わりやがて憤りに変わる。だが、それを社会に向ける事が無意味で不毛なことと感じていた私にとって全ては文字通りやり場の無い怒りであった。
 どうすべきか。動かなければならない。しかしいくら逡巡を繰り返しても、答えを出す事は出来なかった。

✴︎

 これで何回目だろうか。いい加減呆れられるのではないかと思いながら「喫茶アラタ」のドアを開けると私に気づいて相好を崩す榊がいた。
「何でもかんでも僕に頼らないでくださいよ」
 重々しい空気を何よりも嫌悪すると豪語する彼は詠嘆口調で私に言葉を投げてきた。情けないとは思いながらも私は再び榊を呼び出していた。
「今日はどうした?」
 私はいつものように彼の前に腰を下ろし、かいつまんで成美の状況を話した。彼女の個人的な事情を他人に話す事にためらいもあったが、活路を見出すには他に方法が無いようにも感じていたからだった。

「金の問題か…」榊は腕組みをして宙を見つめた。
 私達は沈黙した。そこにいつ来ても変わらないコーヒーの芳醇な香りが漂う。
「でもさ」
榊が急に口を開く。
「お前は彼女を助けたいんだろ?」
「そんなの当たり前ですよ」
「だったら経済的にも支えてやればいいじゃないか」
「そうは言いますけど」
「あ、ちょっと待ってくれ」
榊は私の言い訳を遮り、携帯電話を取り出した。
「悪いな」
 言葉とは裏腹にたいして悪びれもせず携帯電話をいじくっている。大方メールの返信でもしているのであろう。
 そこで興醒めしたものの少しばかり冷静になった私は考えていた。
 どんな障害があろうと自分が受け止めなければならないのではないか。何を躊躇しているのだろう。榊の言う通りではないか。
 そのとき、ポケットに入れた私の携帯電話が鳴った。榊を見るとすでに顔を上げて私を眺めている。
「今度はお前か。出て構わないよ」
 榊は私に気を遣い、傍らにあった新聞を広げて眺め始める。
 着信は成美だった。最近ではめったにかけてくる事の無い彼女からの電話になにか胸騒ぎがした。
「もしもし」消え入りそうな声で彼女が囁く。

「私、もう駄目だ。もう無理かもしれない」

 ただ事ではない事を感じた。私はとっさに目の前の榊を見る。彼は怪訝な表情を浮かべた。
「どうしたんだよ。落ち着けって」
 私の語りかけも虚しく、電話の向こうで彼女は嗚咽を繰り返してばかりだった。

続く

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