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にがうりの人 #15 (二人、凛として)

 新宿から中央線と総武線を乗り継ぎ二時間半。その病院は海岸沿いにあった。成美と私は海風が容赦なく吹きすさぶ中、花束を片手に終始口数少なく永遠にも思われる海岸線の国道をとぼとぼと歩いた。
 足取りが重い。これまで一人で生きてきた人間にとって突然の朗報であるはずなのに、それが開けてはならないパンドラの箱のように思えるのも無理はない。それは警戒心からなのか、現状に対する保守からなのか。彼女がそんな風に穿った考え方をするようには思えないが、それでも不安があるのは確かだった。私はそっと彼女の手を取った。
「お母さん、きっと喜ぶよ」
「うん」
 彼女が手をぎゅっと握り返してくる。それがどういう意味なのかわからなかったかったが、精一杯の感情表現である気がした。私と彼女の手のひらの間にしっとりと汗がにじんでいる。そしめそれが私のものなのか彼女のものなのかは判然としないが、言いようの無い緊張を物語っていた。

 その病院は太平洋を一望できる場所にひっそりと佇んでいた。三階建ての立派な建物は、どちらかといえば病院というよりはホテルのようにも見える。入口には「飯岡総合病院」と書かれていた。

 私は彼女を一瞥し再び歩を進めようとするが彼女は足を止めていた。いつもこの場所で立ち止まり、足を踏み出せずにいたのであろう。彼女が自宅から決して近くはない距離を超えてこの場所に佇み、そして何の収穫もないままに帰路につき自分の勇気のなさを密かに一人で抱えていた事を思うと私の胸はちくちくと痛んだ。なぜもっと早く気づいてやれなかったのだろうか。
「行こう。今日は一人じゃないから」
 私が出来るだけ明るく言うと彼女は無理矢理に作った笑顔を見せるが、すぐ持て余したかのように下を向いた。私は彼女の手を引いて半ば強引に先を急いだ。そうでもしなければ、私も彼女もこれ以上前に進めない気がした。目の前の事から逃げてはいけない。

 病院の中は無機質な空気が充満していた。それが健康な者を拒絶するようで、息苦しくなる。
 彼女が受付で手続きを進める間、私はロビーのソファに腰を下ろした。思いのほか時間が掛かるので私は手持ち無沙汰になり、携帯を開いた。画面に一件のメールを受信したと表示されている。榊からだった。

「何があっても、お前が支えてやれ」

 私はふと自分の母親の事を思った。今、母親がいたらどうだろう。成美に連れ添ってここにいないかもしれない。いや、彼女と出会う事すらなかっただろう。だからこそ、彼女に家族が増える事が私にとっても幸せの積み重ねのように感じていた。そんな思索を巡らせていると視界に手を振る成美が入った。私は彼女に近づく。
「三階の大部屋だって」
 心なしか彼女の顔は紅潮していた。それは母親に会うという事を覚悟した後、ようやく期待を膨らませた表情に見えた。私もそんな彼女を見て、胸が弾んだ。

続く

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