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にがうりの人 #18 (趨性の至り)

 話し終えると沈痛な空気が辺りを支配した。それは重く私にのしかかってくるようで、居心地が悪い。腕を組んだままの榊が口を開いたのはしばらく立ってからだった。
「考え過ぎだよ」
 再び榊は歯を見せた。その瞬間、榊はいつもの彼に戻った。
「勝手にお前が一喜一憂しているだけに聞こえるぜ。本当にお前が言う程、彼女は目の前の事を憂いているのかな」
 私は二の句が継げない。
「自分が他人に不幸だと思われるのってどうなのかな。今彼女の事を親身になって考えてあげられるのはさお前だけなんだぜ」榊はそう言ってタバコを取り出すと濃い煙を吐き出した。
「何があっても彼女を支えるんだろ?」
 私は大きく頷いた。それは本心であり、私の存在する意味と言っても良かった。榊はアイスティーをズルズルと音を立てて啜っている。私が気を利かせて「コーヒー頼みますか?」と問うと「苦手だから、いい」とすげなく答え、いつの間にか手にしている携帯に目を落とした。

✴︎

 ひさしぶりに成美と二人でデートをした。しばらくは母親の世話で忙しく動き回る彼女を私なりに気遣い、会う回数を減らしていたのだ。
「こういう風に恋人らしい事するのって、本当に久しぶりだね」
 昼食を取る為に入ったレストランの窓際の席でパスタを頬張りながら成美は笑顔で言った。その朝日のように清々しく明るい表情を見るのは私にとっては言葉にならない程嬉しい。こんな他愛も無いやり取りが幸せなのかと柄にもなく思い、やがてそんなささやかな事が恥ずかしくもなる。
 榊の言う通り、彼女は今の生活に満足しているのかもしれない。いや誰しも不満は抱えているだろう。だが、それを上回る何かがあれば、日々の労苦など取るに足らない事なのかもしれない。
「何にも出来なくて、ごめんな」
 私は口にし、すぐに後悔した。ふわふわとした彼女との柔らかい時間に自分の非力さをなじる事で何を水差す事があるのだ。だが彼女はそんな後ろ向きな発言にも微笑みを返す。

「そばにいてくれるだけでいいんだからさ。そう思うだけで私は頑張れる」

 つくづく自分の愚かさを痛感し、そしてこの時間がいつまでも続く事を願わずにはいられなかった。彼女には彼女なりの世界があり、当然それは私にもある。
 だが、それがどうしたというのだ。お互いに肉親とはまた別の次元の信頼関係を築いていけばいい。私は密かにそう思っていた。

続く

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