[ベトナム1093日目]ベトナム語で「あなたはあそこの川が見えますか?」と「xem」「nình」「thấy」
この記事では「xem」と「nình」と「thấy」について学習アプリに騙されてきたストレスをぶつける記事です。
きっかけはこれ
Mondlyという言語学習アプリで「あなたはあそこの川が見えますか?」という問題の答えが画像の通りでした。
Bạn có thấy con sông đó không?
私はばっちりこれを信じていました。
Google翻訳さんはこう言っています。
Bạn có nhìn thấy con sông đằng kia không?
ここで「nhìn」が飛び出てきます。それぞれの単語の
xem の意味
xem は日本語でいう「観る」に近く、テレビや映画、舞台などを鑑賞するときにも使われています。状況や内容を把握する意味でも使われるため、医者が患者を「診る」という場面でも使われます。
注意を伴うので、英語でいう「watch」のみでなく「behold」のニュアンスがあるという説明をされたこともあります。
大阪市立大学の山崎雅人教授は「ベトナム語の視覚動詞の試行相文法化の展開」の中で「よく考える、調べる」という場合にも「xem」が用いられると説明しています。
xem bói 占う、xem tướng 人相を見る、xem số 数占い、xem tử vi 星占い
という例を挙げています。
"Anh suy nghĩ lại xem sao?" 「もう一度よく考えてみたらどうですか?」という例からも分かります。
まとめると、基本はテレビや映画を鑑賞する意味の観るですが、医者や占い師などの専門家が診る、視るという場面でも使われます。
nình の意味
nình は「視線を向ける」という意味を持っています。日本語でいう「見る」ではありますが、英語でいう「look」に近い意味を持っています。
ただ、ベトナム語の視線を向けるも、日本語で言う「熱い視線を向ける」という感覚は持っているようで、"Nhìn nhau đắm đuối" は「互いを情熱的に見つめ合う」という意味ですが、「夢中になって見つめ合う」というのが直訳です。このベトナム語で画像検索をすると抱き合ってキスをする男女の画像がでてきます。
そういう意味です。
つまり、「意識的に視線を向ける」という意味で、「眺める」という意訳も使えます。「nình」は「集中して見る」や「事物の外形を見る」という説明をしている方もいらっしゃいますが、「意識的に視線を向ける」が近しい意味だと考えています。
thấy の意味
thấy は日本語でいう知っているか、見たかを聞く際の「わかる」に近い意味です。例えば、「私のスマホ、見た?」や、「長所がだんだん見えてきた」というような表現の「見る」です。
xem、nìnhとは意識の度合が異なります。 見かけた、見えてきたという際にthấyを使うので、ベトナム人の中にはthấyを「見る」と訳さない人もいます。その意味では、「気付く」や「感じる」に近しい「見る」でしょうか。
私が信用している『トマトのベトナム語ボックス』では、thấyを「(能力的に)見える」と 「(感覚的に)目に入る」と二つの意味を説明しています。
能力的に見えるとは、知覚的な認識、感覚的な認識と説明していて、実際には目に見えない対象にも使えるとしています。
また、感覚的に目に入るというのは、偶然や自然に目に入る際に用いられると説明しています。「気付く」や「感じる」に近い意味と上述したものこうした説明と近しいです。
熟語表現
nhìn thấy
~のような、~のようなという表現です。
見て感じるというような意味になります。
「見てみる」という訳が合っていると思っています。
nhìn xem
目を当てて、知覚で情報を把握するということなので、xemと意味は同じです。
cảm thấy
感じるという表現です。
さいごに
見るを意味する単語をメモして見ました。
他にも例があれば、コメントください。
参照
https://www.ls-japan.org/modules/documents/LSJpapers/meeting/156/papars/h/H-7_156.pdf
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