神アニメと駄作と優秀さ
いきなり評論家気どりなことを言うようですが、私はアニメを2話見ただけでおおよそのアニメの総合評価を測ることができます。
例えばアマプラで今季のアニメが始まったとします。そして第二話までのアマプラ評価は4.5点
だとしても、私が3.5と判断したものはほぼ全て最終的に3-4点付近に落ち着きます。
どや、凄いだろ〜
なんて言うつもりはありませんし、実際凄くもなんとも無いのですがこの先の持論に信憑性を持たせるためにだいぶ尖った自己紹介をしてみました。
最初の2,3話でそのアニメの総合力がおおよそ自分なりに測れる人なんて本当のところ沢山います。
昔友達と3話だけ見てアニメ評価サイトの最終評価点を当てるゲームをしたことがありますが(なんと悪趣味な…。)
アニオタの友達は私より近い点数を言い当てていました。
さてさて、ここからが本題です
神アニメと駄作では何が違うのか
そしてその差は自分たちにも当てはまるのではないだろうか?
そんな内容についてこれから自論を展開していこうと思います。
神アニメと駄作の差
私がアニメを見る時、特に沢山ある新作アニメのうちどのアニメを最後まで視聴するか決める時どこを見ているか
私は論理的か否かでまず判断します。
そして、論理的でありのままなアニメを真っ先に選択肢から外します
論理的なアニメは私の作った言葉なので少し説明します。
例えばカメラワークが終始主人公と同じ目線の高さである作品
原作を完全に再現しようとしすぎている作品
動きや効果音に目新しさを感じない作品
これが論理的な作品です。
そういう作品を見ていると、納期やノルマに追われて作業として作成したんだろうな
なんて酷い考えも浮かんできてしまいます。
なぜその原作をアニメ化したのか
と言う問いに対して「儲かりそうだから」と答えられたら原作ファンは腹が立つでしょう。
私にとって駄作とは、「その理由」でアニメを作りましたと言わんばかりの単調な作品のことを指します。
つまり、駄作と神アニメとの差は創意工夫やこだわりがあるか無いか
これに尽きると思っています。
私個人的にはアニメーターのフェチまで伝わってくるようなアニメとかも好きです。
キャラが抜刀するシーン
ヒロインが髪を掻き分けるシーン
武器や装置が変形するシーン
ロボットが一歩踏み出すシーン
こだわっていれば必ず見る人に伝わります。
例えばこちらのアニメ映画PV
YouTubeで最も見られているのは53秒からの ヒロインが武器を使いこなし狙撃するまでのシーンでした。
気になる人はPVの53-55秒までの2秒間だけでも見てみて下さい。
多分これを描いた人はああいうシーンが好きなんだろうなぁ
って伝わってくると思います。
優秀な人
ここまで駄作と神アニメの差が製作者のこだわりの有無であることを評論家気取りで説明してきました。
しかし、ここまで考えてようやく気づきました。
あれ、待てよ?自分はこだわりを持って仕事をしているだろうか
こだわりのない作品は駄作
論理的でそのまんま、描かれたことをそのまま再現するだけのアニメは面白くない
なんて酷いことを言っておきながら、自分こそ作業ベースで仕事しているのではなかろうか?
こだわる人
アニメーターも監督も制作進行もプロデューサーも私たちと同じ人間です。
みんな給料が欲しいだろうし、できることなら楽もしたいと考えるのが普通でしょう。
それなら効率的に稼ぐために、確実に売れる人気な原作をいかに少ない資金と労力でアニメ化し、その後のグッズ展開に繋げるかを考え実行するのが一般的な考えと言えそうです。
しかし、一部の作品、一部のアニメ制作会社はその邪念を捨て徹底的にこだわります
こだわった末に売れるとも限らないのに……
ただ、こだわり続けていれば誰かの目に必ず止まります
こだわり続けた末に磨かれた自身の技はより多くの人を感動させるでしょう
53秒からのたった2秒に人が惹きつけられたように。
私の会社の先輩にとても優秀で有名な人がいます。
若くして出世して役職がついて…。
そんな人と同行した時、ありとあらゆる場面でその方のこだわりを感じたことを思い出しました。
他の社員なら絶対にやらない面倒な事、成果や売上に直結しなさそうなことをごく自然にこなす
そんな姿を見て優秀な人とは自然にこだわれる人のことを指すのだろうなと実感しました。
打算的に、効果的な箇所でしか工夫しない人より数段階上
お金のためだけに仕事をしている人の遥か上空にその人は位置しているように思います。
まさにその通りでしょう。
私もまずは、こだわる事の楽しさを覚えるために自分なりに工夫して仕事してみようと思います。
最後までお読みいただき有難うございました。
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