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17 花【短編、3100字】

【以下の文章は、2024年2月28日から同年5月19日まで行われた伊藤雄馬氏との「往復書簡」における、5月11日の記述の一部を短編小説としてアレンジしたものです。】

 おーちゃんとのセッションが始まる前に、私とパートナーと雄馬さんの三人が、セッション会場が併設されているカフェに到着しました。ランチをそれぞれ注文し、それを待ちながらの、歓談のひとときでした。ゴールデンウィークが明け、人出は落ち着いていました。道路に面したガラス張りの店内には、よく晴れた五月の陽光が差しています。窓が開いて、風が抜けるのも心地よいです。私とパートナーは、しょっちゅう来ています。埼玉県から三時間近くかけて茅ヶ崎までやってきた雄馬さんは、初めての来店です。駅に迎えに来たパートナーの車に私も雄馬さんも乗り込み、カフェに向かいます。助手席に座る私は、リュックサックから漫画本を取り出し、「さっき大船で乗り換える時に買っちゃった。」と言って、自慢げにはしゃいでいます。運転席と助手席の間から、後部座席に座る雄馬さんがそれを目に留めて、「それ、友達の友達が描いてる。他人だけど。」と言いました。私は、雄馬さんの言った「他人だけど。」の意味が、聞いてすぐに確定できずに、それが海なのかどうかもわからない海に放り出されました。ですが、どうしても確定させたいというわけでもないので、確定はさっさとあきらめて、「会うなりやってくれんじゃねーかこんにゃろ。」とだけ思って、それでその会話は終わり、ちょうど店に到着しました。運転してくれているパートナーが道を間違えて、少し時間がかかったからこそ、この会話が出来たんだな、とも思いました。パートナーは、茅ヶ崎に十年以上住んでいますが、そしてそのカフェにも何度も行っていますが、今でも、道を覚えていません。大通りに面した、私にとっては、わかりやすい場所にあるお店です。「私は右左がわからなくて。」とパートナーが言いました。私はフロントガラスの向こうに広がる、前回来た時にも間違えて通った道の景色に、パートナーの発言の説得力を感じ、「あぁ、そうだねえ。」とか、「いいねえ。」とか、そんなことを思って、嬉しくなりました。雄馬さんが「右も左もないですからね。」と言いいました。パートナーは「そうでしょ? どっちから見ての右なのかとか、あっちから、こっちからとか、わけわかんないのよー。」と言いました。私は、指笛を吹いて盛り上げたかったのですが、吹けないので、指笛を吹いている可能性を感じながら、ただただ、その場を味わっていました。

 注文したランチを待ちながら、パートナーが言いました。
「私はこの人の代わりに子育てをしている気がするんだよね。」
「代わりに」の「か」に、ごくわずかな、「言われてみればそうかも」という程度の、アクセントがあった。パートナーはシングルマザーで、私は独身で子供もいない。それを受けて私は
「あぁ、それ、タツヤくんにも同じこと感じるわ。」と言った。タツヤくんは私とパートナーの共通の友人で、雄馬さんに彼の話をしたことは何度もあるが、雄馬さんと彼が会ったことはない。私の発言は続く。
「最近、タツヤくんが、ぁ、タツヤくんには五歳の一人息子がいて、で最近会った時に、五人行こうと思ってる、て言ってたのよ。どういう心変わりかはわからないし別に聞く気もないけどとにかくそう思うようになったらしくて、そんで今二人目妊娠中だからね。妊娠してるのは奥さんの方ね。」
雄馬さんがすかさず
「わかるわ。」
と大きな声で言って笑いながら、体を揺らした。雄馬さんは時々、大きな声でツッコミを入れてくれる。私は、「私がボケたら雄馬さんがツッコミを入れてくれる」というよりも、「雄馬さんがツッコミを入れたら私の発言はボケだったのか」と感じたり、発見したりしている傾向がある。
 私は雄馬さんに向かって、冗談半分、弁解半分、という気持ちで、笑いながら、次のように話した。
「ぃや、言う時には、これを言ったら冗談になるな、とわかってはいるんだけど、言い始める前に、『二人目妊娠中』を言ってる最中か、言い終わった直後くらいは、まだ、誰が妊娠してるのかの主語言ってないから、直前の唯一名前が出てきた人物であるタツヤくんが浮かんで、いや、違う、っつって選択肢消して、じゃあ奥さんの方だ、ってなって、そこで初めて妊娠してるのは奥さんだ、ってなるじゃん? 常識的にそうだ、って言う人いるんだろうけど、その『常識的にそうだ』ってゆう判断に至るまでのプロセスのうちの、どれを言語化して、どれは言語化しないのか、ってゆうのを選別ってゆうのか、言ったり言わなかったりを選ぶのが、めんどくさくなっちゃうのよね。もう仲良くなってる人が話し相手とかなら、そういう選別もしゃべった後でみんなでやればいいじゃんねえ。なんでみんな当たり前にそーゆーの出来んのかね。めんどくさくね?」
 雄馬さんはそれを聞きながら笑っていた。「ウケている」というよりも、「感心している」と「微笑ましく思っている」が混ざっているような笑い方だった。私の話が一区切りすると、雄馬さんの笑いも落ち着いた。私の声の余韻に自身の波長を合わせるようにして、どこというわけでもないどこかから言葉を取り出し始めた。
「みんなやってるんだけど、やってるって思ってないのよ。」
「やってるって思ってないって、どうやって『思ってない』って出来んの!?」
私は興奮している。驚いている。雄馬さんの言う「みんな」の境地がわからない。
「多くの人たちの意識、賢さんの言葉で言う顕在意識の領域がこのくらいでーー」
雄馬さんは、水の入ったグラスを落としてしまわないよう中央に寄せ、テーブルに小さく、人差し指で丸を描いた。
「潜在意識がこうだとするとーー」
先程の「多くの人たちの顕在意識の丸」の外に、より大きく丸を描いた。その丸から「多くの人たちの顕在意識」をくり抜いたドーナツ状の部分が、「多くの人たちの潜在意識」だ。
「賢さんは、これが顕在意識なのよ。」
「賢さんの顕在意識の丸」は、「多くの人たちの潜在意識の丸」よりも、ほんの少しだけ小さかった。私の顕在意識は、多くの人たちにとっての潜在意識領域に、大きくはみ出していた。
「みんなそういう細かい処理をやってるんだけど、それみんな、無意識でやってるの。無意識だと、すぐ『ない』ってことになっちゃって、あるんだけど、『ない』ってなるんだよ。賢さんは、そういう人たちにとっての無意識が、意識で知覚できちゃうから、だから、めんどくせー、とかってなるんでしょ。みんなやってんだけど、みんな知覚してないの。」
 理屈としては充分わかるのだが、だからこそ、実感の出来なさが際立ってしまい、私は、
「ええ……」
と、ほとんど意味らしい意味のないことを言った。というか、漏れた。
 パートナーはその説明に納得していたが、すでに知っている、という様子と口ぶりだった。
「そうじゃなきゃ、あの文章は書けないよねえ。」
と言って、笑っていた。笑いの方向が定まっておらず、雄馬さんの説明に対する感心なのか、納得なのか、あるいは私の知覚や、文章に対してなのか、よくわからない。よくわからないまま、「ーー、書けないよねえ。」を発する彼女の気分が、明るい店内に発散されていた。雨上がり直後の日差しがよく反射して、窓の外の、濡れた道路も、道路沿いの木々も、光景の全体が明るく光っていた。
 「賢さんが書いてるのは、へりなんだよ。へり。」
雄馬さんはテーブルの端まで広がった丸の輪郭を、指で何度もなぞりながら、強調した。
「賢さんにとっての潜在意識は、他の人にとっては、潜在意識のキワのキワ。」

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