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09 引退【掌編、600字】

 平日の全てが活動日であるのに加えて土日にもほぼ隔週で、年に2回の定期演奏会の他に、老人ホームやデパートのイベントスペース等でのミニコンサートが入り、選曲やホールの手配等の音楽以外の諸々の作業・打ち合わせは正規の活動時間外に行うという苛烈なスケジュールをこなし、好きで始めたはずの部活がいつのまにか好きでもなんでもない「無給の労働」と化していた快斗は、四年生の春に部活を引退して「やっとシャバに出れる」と思っていた。
 大学に通い始めて四回目の春に、入学以来初めて、「授業に出るために大学に行く」というのをやり出した快斗は、見慣れているはずのキャンパスの景色に驚いていた。生協の文房具売り場でワクワクした。教科書売り場でも、一般書籍コーナーでもワクワクした。何百回も来ている学食が新鮮だった。快斗が入学するずうっと前からあるはずの、単なるベンチが素敵だった。「新入生みたいだ」というセリフは言いも思いもしていなかったが、そういう気持ちだった。キャンパスの入り口から自らの所属する学部の建物に向かうまでに目にする、ありとあらゆる景色が活き活きとしていた。こんなにいいとこだったんだーーもはや好きではなくなっていた部活に追われ、見えるものが極端に限定されていた快斗は、その限定から開放され、取り戻した内部の充実を外部に反射していた。

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