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08 オムライス【掌編、1300字】

 幼稚園の送迎バスから降りるなり夏希は迎えに来ていた靖子に
「卵のカラ持ってくよ。」
というセリフで伝えるべきことを伝えた後で
「おばあちゃん。」
と付け足した。
 「卵のカラ持ってくよ」はよくわからないが、孫が嬉しそうにしているのは一目瞭然で、靖子は
「そうかい。」
と微笑みかけ、
「おかえり、夏希。」
と言って孫の「嬉しそう」を肯定し、腰の高さにある夏希の顔から視線を上げた。
 「こんにちは。園でカタツムリの飼育をしていまして、そのエサとして卵の殻が必要で、各家庭から一つずつお願いしています。ジップロックでもビニール袋でも構いませんので、明日お子さんに持たせていただきますよう、お願いいたします。」
開いたバスのドア口から、佳奈恵が慣れた口調で補足した。「各家庭」への説明が長ければ長いほど、後の園児を送るのがどんどん遅くなる。ガムシャラに急ぐよりも、余分なやりとりが発生するリスクを予め排除しておくことが肝心だと心得る佳奈恵の説明には、質問の余地がなかった。
 バスの中で何人かの園児が
「せぇーのっ、」
と声を合わせて
「夏希ちゃん、さよぉー、な、らっ。」
と一音ずつゆっくりと明瞭に発音し、おまじないのように挨拶を唱えていた。
 「わかりました、先生。今日もありがとうございました。」
バスの中に向かって両手を振る夏希の頭に手を置いたまま、靖子は自分の娘たちと同世代と思われる佳奈恵に会釈した。「お勤めご苦労様です。」と思っていたが、それは言わなかった。

 「カタツムリは、卵を食べるんだねぇ。」
手を繋ぎ、夏希の小さな歩幅に合わせて歩きながら、靖子は感心したように言った。
「卵のカラだよ。カラを食べるんだよ、カタツムリは。」
夏希は「中身は人間でも食べられる。カタツムリは、人間には食べられない、カラを食べてしまえるんだ。すごいことじゃないか。」というつもりだったが、こういう説明は出来なかった。
「なっちゃんが、卵食べて、カタツムリが、カラ食べるの。」
夏希は靖子に伝えるために言った言葉を自分で聞いて、カタツムリがいかに「すごい」かを確認していた。
「そうだそうだ。おばあちゃん、間違えちゃったね。カタツムリが食べるのは、卵のカラだ。」
誤りが訂正されたのはいいが、夏希からすれば、そもそもそれを間違ること自体が考えられないことだった。不快には思わず、「不思議だ」という印象を、言葉を使わずに漠然と抱いていた。
「じゃあ今日はおばあちゃんが、なっちゃんにオムライスこしらえようか。」
そういうことじゃない、と夏希は言うことも思うことも出来なかった。
「こないだも、カラ食べたんだよ。金田先生があげるの、なっちゃんたち、見てたんだよ。」
夏希の両親を含めた四人分の卵が自宅にあるかどうかを確認してから、なかった場合に夏希を連れて出直すのは手間だ、と靖子は考え事をしていた。
「そう。じゃあカタツムリはカラ食べるんだ。」
靖子の言葉にいまひとつ気持ちが乗っていないことを感じた夏希は、なんとなく寂しかった。あるいは、寂しいという気持ちになりそうだった。

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