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ビジネススクールで何を得たのか、という問いに向き合う

本日2021年10月24日、新型コロナウィルスの影響を受けて延期になっていた卒業式をやっと迎えることができ、晴れてグロービス経営大学院の「パートタイムMBAプログラム(日本語)」本科課程を修了しました。

単科生として通った準備期間の約1年を含めると約4年間。
37歳から41歳というなかなか社会人としては多忙な時期、かつ子育てと同時進行、なかなか一筋縄ではいかない期間でした。
その中で私はいったい何を得たのか、節目として振り返っておこうと思います。

なぜビジネススクールに通ったのか

そもそもドメインがデザイナーである私がなぜ経営学修士、MBA取得をゴールとするビジネススクールに通ったのか。
その理由はふたつ。

ひとつはデザイナーとして経営者と対等に話ができるようになりたかったから。もうひとつの理由は自社で経営に関わるようになり、体系的に経営を理解する必要があったからです。
つまりMBA取得というよりは、その過程で得られる知識や思考力が目的でした。

長年、デザイナーとしてサイトやシステム開発に関わる中で、企業や事業の戦略を具体的に理解し、経営者と対等に話ができるようになればプロセスやアウトプットの質が必然的に変わるだろうという思いを持ちながらも重い腰を上げられずにいたのですが、自社でも経営に関わる比重が大きくなり、今こそその時ではないかと一歩を踏み出したのでした。

何かを「得た」のではなく、「脱皮」が起きていた…?


今回このエントリーをしたためるにあたり、ふと感じたことをつぶやいてみました。

恐らく「卒業おめでとう!」というお優しいニュアンスもあったと思うのですが、たくさんの♡をいただいてしまい、ますます何とか形にせねばと奮起した次第です。

「脱皮」の全体像

「ビジネススクールで得たものは何か」という問いに向き合うにあたり、まずはMBA生よろしくクリティカルシンキングで枠組みを考えようかとも思いましたが、そこはデザイナーらしく発散⇔収束の繰り返しから解を探ってみることにしました。

全体像

▲まずはこんな感じで発散から一回収束。

これらを俯瞰して見ていると、外的要因⇒自己への影響⇒行動の変化という構図がぼんやりと見えてきました。
これをモデル化すると下のような関係性があったのではないかということが考えられます。

脱皮モデル

大きくは下記の2つの流れがあり

1. 他者との対話・協働を鏡にして生まれる自己理解
2. 仮説構築力や分析力向上による、自分を取り巻く環境の捉え直し

これらにより行動の変化が生じたという脱皮モデルが起きたのではないかというのが私の仮説です。🐍

1.自己理解の促進

 
自己理解が進んだ要因として、多様な社会人学生との対話・議論の影響は多分にありました。

自己理解

グロービスのクラスはケーススタディを用いたグループ議論が主であり、同じ課題に対する思考の量や深さ・スピード、分析の切り口など他者との差を実感する場面に多く出くわします。
グループワークが中心となるクラスや、JBCCというビジネススクール生によるビジネスプランコンテストへの参加を通じて優秀な学友に揉まれるなかで「自分のケイパビリティは何か」「どうすれば貢献できるか」を必然的に考えるようになりました

私自身はやはりユーザー志向・顧客志向が強く、UXやマーケティングであれば優秀なメンバーの中でも貢献することができるのではないかという感覚を抱くようになりました。
加えてファシリテーションやチームの思考の視覚化など、やはりデザイナーとして培ってきたものが役に立つ場面が多く、様々な能力を持つ社会人学生が集まるビジネススクールは組織の縮図のようであり「デザイナーとして経営に寄与する」という自分の信条が少しずつ明確な輪郭を持つようになったのでした

これが後で触れる行動の変化へと繋がっていきます。

2.環境の捉えなおし

ケーススタディによる実践的な学びを通じて得たものといえば、やはり経営に対する多角的な理解や、そこに至るのに必要な仮説構築力や分析力です。

分析、仮説構築力の向上


しかし何より大きかったのは、得た視点や分析力を使って改めて自社や業界など身の回りの環境を見直すことで、目の前の状況を概念化して捉えることができるようになったり、これまでよりもずっと解像度高く外部環境と自社戦略、事業戦略、組織構造などの不整合が起きている部分に目に付くようになったことでした。

行動の変化

前述の環境の捉え直しが生じたことで、入学前に自分が課題だと思う部分や関心がある部分を起点に「やりたいこと」ドリブンで取り組んできた行動がいかにバランスを欠いたものだったかが分かるようになります。

また組織内の力学についても学ぶため、「巻き込み」においても自分の能力や社内的なポジション、影響力を考慮して誰にどう働きかけるのが良いかをあらかじめ設計し、人の心情にも配慮したいわゆる「根回し」も含めた動きをするようになりました。

こういった変化が起こり、「言動が変わったよね」と社内で言っていただける事もありました。

デザイナーとしての収穫

もうひとつ個人的に振り返らない訳にはいかないのが、デザイナーとしての感覚の変化です。

これまで事業会社の方をクライアントとして様々なプロジェクトに関わってきましたが、自身がものづくりを中心にキャリアを積んできた背景からビジネスに向き合うクライアントに対して「彼らが見ている世界を理解できていないのではないか」という不安とも引け目とも言えるような思いをどこかに抱いていたように思います。
それによって「クライアント」という自分とは異なる存在として相手を捉えてしまっていた所がありました。

ビジネススクールには名だたる企業で活躍するメンバーや、中小企業であってもその看板を背負っている人がたくさん在籍し、彼らの中でチームの一員として貢献することを目指すうちに、同じ人として相手を見て、自分の特性を生かしながら共にゴールに向かって走ることができるという自信を得られたのも収穫でした。

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これらが「ビジネススクールで何を得たのか」という問いを起点に、自身の変化をまとめてみた内容になります。 
はじめの問いに沿って「何を得たのか」をぶれずに考えるのであれば、このような自己変化を短期的かつ半ば強制的に起こす機会を得た、とも言えるのかもしれません

 
また私自身はビジネスパーソンとしてのアイデンティティが固着しそうな30代後半でこのような揺り戻しを経験をすることができたことに意味があると感じており、恐らくまた10年程して自分の思考・行動が固着しそうな気配を感じた時に、また学びほぐしを求めたくなるかもしれないなとも感じています。

そして、これらの構造を支えた学び方についての話を。

下支えとなった「学び方」の理解

今回は細かな各科目での学びには触れず、抽象度が高い変化の話を中心にしてきました。
それらを支えたのは、学びを進めると同時に進んだ「学び方」自体に対しての理解の高まりがあったと思います。

事前の予習
(1回のクラスにつき10時間程の予習が必要で、これが結構きつい)
当日の議論
クラス後の内省(クラスで得た視点を踏まえて自己や周囲を捉えなおす)
内省を踏まえて業務や自社経営で実践
実践を言語化(だいたい翌クラス冒頭で問われます)

こんな一連のサイクルを繰り返すことで学びを定着していきました。
そのため自己に関連した置き換えが難しかったり、実践の機会が少ない科目については概念としては理解できるものの学びが少なくなりがちな傾向はあったかもしれません。

最後に

ここまで学びの成果について触れてきましたが、MBA不要論があることも認識していますし、ビジネススクールに通うにはそれなりの時間・資金の投資や家族など周囲の協力を要することも事実で、絶対的に有効だというつもりはありません。

ただ私自身は知識面だけではなく、このような脱皮を経ることで自信を持って「デザイナーとして経営に寄与するのが信条です」と言えるようになった今があり、この期間は自分の人生において大きな意味を持つものだったと感じています。

改めて今日のこの日を無事に迎えることができ、私を支えてくれた家族には本当に感謝しかありません。
今日は卒業式に参加したがっていた娘が、新型コロナウィルスの影響でオンライン視聴になりましたが、楽しんで観てくれていたようです。

挑戦し、やり切った母の姿を見せられたのであれば本望です。

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