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2023総括 - 無明に射す光

フィジカル=メンタル

2023年は、不調を予測した。苦痛の軽減、肉体のわずかな変化も感じ取るように努めた。自分の機嫌が悪い時、体調が悪い時、パフォーマンスが低下している時。大抵は血糖値の低下、栄養状態の悪化、気圧、ホルモンバランスの乱れ、睡眠不足のいずれかにある。それらを察知し事前に改善策を打つ。痛み、痒み、筋肉のハリ、睡眠の質、肌の状態、良い状態と悪い状態を繰り返す。できる限り太陽の光を浴び、野菜を食い、湯船で温まり、歩いた。何故か。これができなければ健康の維持はどだい無理だからだ。健康は難しい。もしできるのであれば外注したい。そのくらい面倒くさい。しかし、自分を健康にできるのは自分だけだ。
2024年も引き続き健康をやっていく。

桑原さんを目指し続ける

桑原さん(幽遊白書の登場人物、桑原和真のこと)のファンになってから3年が経過しようとしている。桑原さんが戦闘時に着ている特攻服の背中には大きく「健康第一」と刺繍されており(刺繍かどうかは定かではないが、その文字が描写されている)、それを軸にしつつ桑原さんの人格や言動から受け取った生き方の指標をなぞっている。これらは2023年に限らず2020年から変わらず取り組んでいることで、当然桑原さんになれるわけはないのですが、文字にするといたってシンプルで「思考」と「行動」の繰り返しをしているだけだ。「桑原さんならどうするだろう」と考え「桑原さんならこう実行に移すだろう」と行動する。元来面倒くさがりの自分の性質を大きく変容させた桑原さんのパーソナリティには2020年から感服している。
2024年も引き続き桑原さんを目指していく。

退職したら肺が広がった

7年半勤めた職場を今年のなかごろ退職し、それを機にずっと気になっていたことを実行に移した。それは自分の顔面と肩の歪みの矯正だった。私はホットペッパービューティで目星をつけた無骨な店構えの整骨院に通うことにした。

初回の施術後、先生がおっしゃった。体が変わるには3ヶ月かかるという。おすすめされたのは3ヶ月間週2回通うこと。先生が言うならやりましょう。とその整体に通い続けた。決して安い金額ではないが、それは実際に体感した「体の整え」を実感し、感動した部分に裏付けられる決断だった。なお、その後は月に1回今でも通っている。

なぜ先生は3ヶ月とおっしゃったのか。その後自分でも調べてみた。
1. 体の細胞が入れ替わること
2. 悪い習慣をなくすこと
3. 良い習慣をつけること
下2つの定着には3ヶ月がかかるらしい。上等よ。

さて、私の仕事はデスクワークなのですが、基本的に首や肩の痛みに悩まされている。時折腰の痛みもある。体の痛みの原因としては打撃などによる局所的なものもあれば、特定の部位の酷使により別の部位に副次的な痛みが発生するものなど、原因もさまざまだ。例えば姿勢や呼吸の方法などの積み重ねで知らずに負担をかけてしまっている場合もあり、その「習慣による負担」には自分では気付きにくいらしい。慢性的に疲労しているため、疲労に慣れてしまっているのだという。

施術を受けた後、仕事をしているとすぐに目が疲れたり、腕が疲れることがある。施術によって筋肉の緊張が解されているので、疲れを感じやすくなるのだと先生は言う。
肉体のスペシャリストに「自力では気づけない習慣を指摘してもらえる」。これが、自分一人では取り組めない部分の一つだ。
2024年も引き続き頭蓋骨屋さんに通っていく。

疲労の義務付け

「未病」という状態がある。発病には至らないものの健康な状態から離れつつある状態がそれだ。今健康だと思っていても、急に次の瞬間から体に不調が出始めることがある。経験則から勝手に思っていることだが、自分を含め世の人々は未病の状態で日々を過ごさざるを得ない。なぜなら、常に仕事や生活に追われているからだ。現代社会で生きることで、体や心が疲れるようになっているし、そしてそれをたまの休みでごまかしながら生きていくしかない。そういう社会の構造になっていると思う。もちろん、中にはそうでもない人たちもいるだろうが。

私は疲労していた。自分にとって何がストレスになるかを前職でよく学び、そこから脱却したことで抱えていたストレスのほとんどを一掃できた。まあ主に人関係です。収入の安定はないが、人生の比重を自分で調整することにしたので、仕方ないね。
2024年も引き続き疲労の義務付けに抗っていく。

物体と現象

さて、インターネット(主にSNS)で、見知らぬ人の行動や言動を切り取った投稿に心を痛めたり怒ったりすることについて、2023年はよく考えた。結果、それらついては基本的に「見ない」方向で下半期から調整をしている。

「見ない」方向に至った経緯として、それらに言及することそのものは、社会との関わり方のうちの一つだ。そうでもしないと社会とのつながりが保てないような人もいる中で、私にとってそれらはもはや架空であり自分の脳に入れなくても済むことは自明だ。物体や現象との関わり方は人の数だけある。私は目の前に実際に存在する人たち(物体のこと)、実際に言葉を交わす(現象のこと)人たちのことだけを強く認識することにした。
2024年も引き続き身の回りの現象と物体のことを考えていく。

無明に射す光

1年前から読み進めているスッタニパータはまだ読み終わっていない。

先の記事から進んだ点としては「無明」の記述をみつけたことだ。

む‐みょう〔‐ミヤウ〕【無明】
邪見・俗念に妨げられて真理を悟ることができない無知。 最も根本的な煩悩で、十二因縁の第一、三惑の一とされる。

デジタル大辞泉-小学館

2023年、無明からは一歩進めたと信じたい。これからの人生でやりたいことといえば自分の感情の平穏を最優先にすること。争わないこと。加害を(できる限り)しないこと。他人の存在(※1)を尊重(※2)すること。自分の認知の歪みを正すこと。

※1 意見、思想、行動、すがたのこと
※2 正しく受け取り咀嚼した上で対峙すること

無明時代のエピソードで印象に残っているものがある。10代後半の頃、道すがら咲いていた一輪の花を見た。まわりには何も咲いていない。自分と似ていると勝手に共感した。花に対して。

しばらく経った後、同じ道を歩いていた。しばらく行った先にはあの花が咲いているはずだ。少しずつ見えてきた。でも、この前とは様子が違っていた。周りに同じ花をたくさん咲かせていた。お前は私の心を傷つけたとブチ切れた。花に対して。

で、この時咲いていた花というのは「ナガミヒナゲシ」という花で、とんでもない繁殖力でお馴染みの外来種なのですが、花の名も生態も知らなかったためその後それが増えることも予測できず、勝手に共感し勝手にブチ切れていたというわけですね。花に対して。

花の名と生態を仕事で知るまで、すっかりそのエピソードのことは忘れていたのですが、おそらくそれが「無明の自覚」の瞬間だったのかもしれない。

花のすがたを自分の境遇と重ねること自体は悪いことではないにしろ、感情に振り回されすぎると良いことはない。私は診断は受けていないものの神経発達症のきらいがあった。当時、情緒の発達についても途上だったはずだ。このように無明にあれば、ものごとを認識しそれを正すのは難しい。自分や人の感情、執着にじゃまをされてしまうからだ。でも、知識や経験があれば認知の歪んだ状態から「物体と現象」だけを切り離し、正しく認識することができる。
2024年も引き続き無明を切り裂いていく。

2023年総括

2023年もまあまあいい感じでした。
2024年も引き続きよろしくお願いいたします。

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