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Just a phenomenon

このところ、最古の仏典のひとつとされている「Suttanipāta(スッタニパータ)」、その中でも読みやすいと言われている中村元 訳 『ブッダのことば』(岩波文庫、1984年)を読んでいる。

※インターネットで調べたときに読みやすいと言われているのを見たのであって、自分で読み比べたわけではない。

一度ザッと読んだだけではほぼ意味がわからず、何回も読んでいる。


私は野蛮なので「誰にも貸さない、見せないであろう本は蛍光ペンで線を引き、折り目をつけ、振りがな、個人的に感じた注釈などを記入し、背表紙に香水を吹きかけまくる」などという所業──人によっては本への冒涜とも捉えられかねない──を平気で行う人間なのですが、はじめに我がスッタニパータに線を引こうとした時には流石に葛藤が生まれた。まあ、今ではかつての葛藤もどこへやら、仏陀の言葉(とされる文字の羅列)(を和訳)(校正)(印字した紙)に蛍光ペンを引きまくっているけれども。

しかし自らの理解を深めるためならば、これは避けられない。我がスッタニパータに対するマーキングは、私自身のスッタニパータ理解度(主観)を表している。残念ながら我がスッタニパータにはこれを堪えてもらうし、それが私の元に送付されてきた個体に課せられる使命だ。

スッタニパータは詩のようなモノローグ的パートと、ブッダと(おそらく)周囲の人間とのやりとりであろうシナリオ的パートが交互にやってくる。


スッタニパータに対してモノローグ的パート、シナリオ的パートという分類をすることに関して、私レベルの理解力しか持ち合わせていない人間が表現するとそのような表現となりますことをご了承ください。

さて。
特に、詩のようなモノローグ的パートがむずかしい。

四七. われらは実に朋友を得る幸せを讃め称える。自分よりも勝れあるいは等しい朋友には、親しみ近付くべきである。このような朋友を得ることができなければ、罪過のない生活を楽しんで、犀の角のようにただ独り歩め。

訳者 : 中村 元.ブッダのことば──スッタニパータ.岩波文庫,1984年,P19.

仏陀の言葉に限らず、全てのものやことには個々人の解釈がある。深く考えなくても良いし、きちんと理解ができなくともよいのかもしれないが、かつて仏陀の言葉とされたそれらを一度自分の脳に入れることで、いつか生きることの助けになるシーンがやってくるかもしれない。

今までの人生経験から「形のないものほど理解が難しい」ことも感覚でわかっている。わからないなりに読み、考え、今のところの解釈をもって、端的に表すとこうだ。

【我がスッタニパータはこう言っている】
1-1. 
この世は陽炎のように実態を持たず、虚妄(きょもう)と言える。

1-2. 
それから逃れるためには、執著(しゅうじゃく)を捨てること。

 【それを受けての個人的解釈】
2-1. 
私たちが生きている社会は「人間が繁栄するために人間が作り出した」ものである。

2-2. 
全てのものごとは思い通りにはならない、全てのものごとに対しての感情を抑えること。

今のところの解釈ですしこれが正解だと言いたいわけでもないですが、ひとまずはこんなところです。ところで、私は平気で家の中で遭遇した不快害虫を殺すし、平気でiPhone14Proを使っているうまい飯をたらふく食うし、休みの日は15時間寝るし、桑原和真さんの激烈かっこいいフィギュア(再販)を予約している。ものやことへの執著の塊である。

私は仏教を信じたくて、スッタニパータを読んでいるわけではない。ただ、知りたいと思っただけだ。いくら執著を捨てよと言われても、これだけ命、物、感情、錯綜、報道、娯楽に溢れた現代社会で、それを行っていくのは難しいように思う(※否定する意図はありません)。

さりとて、社会の歴史、人の歴史とは、文明、技術、制度、そして何より命の連なりであり、現象であり……そんな言葉にしにくい、命に対する尊さのようなものを感じた時、私は中島みゆきの「命の別名(いのちのなまえ)」という曲の一節を思い出す。

何かの足しにもなれずに生きて
何にもなれずに消えて行く

中島みゆき - 命の別名

でもさあ、別にそれでいいんじゃん? なぜなら、全ては現象なので。今までだって全てが起こり、全てが過ぎ去り今があり、さまざまな現象が起こっている。これからも全ての現象が起こり続ける。そして、私たちが知覚できるのは「今」だけってワケじゃん。

OK、今から私は現象教です。そう、全ては現象。Just a Phenomenon.

私は現象教の教祖となる。お前らの参加待ってるぜ。

活動内容
・過去起こった現象を考える。
(これはもう起こったことなのであまり考えすぎない。少しだけ考える。)
・今起こっている現象を考える。
・未来起こるであろう現象を考える
(これはまだ起こってないのであまり考えすぎない。少しだけ考える。)

とりあえず現状の自分に起こった現象と起こっている現象と起こるであろう現象を考えます。

過去。
昼飯に食ったキムチ納豆巻きがうまかった。あんなに納豆臭かったのに今は納豆の匂いがしない。おそらく、胃の中に入ったからでしょう。

現在。
見えないのでなんとも言えないが、私は先ほどキムチ納豆巻きを食べたので、胃の中で溶かされるのを待っている感じがします。

未来。
見えないのでなんとも言えないが、明日以降に排泄されるのではないだろうか。

このところ毎日キムチ納豆巻きを食っているため、キムチ納豆巻きに関する過去、現在、未来は繰り返され続ける。私が昼飯にキムチ納豆巻きを食い続ければ。

予測のできる現象っていいね。でも、この先きっと自分で予測ができない現象が起こることでしょう。帰り道に車に撥ねられるかもしれないし通り魔に刺されるかもしれないし(これはまだ考えられる範囲なのでマシですね)、何かもっとひどい出来事か、すてきな出来事が起こったりもするでしょうよ。まあでも、人生って現象だし、完全には予測ができないしさ、もう人類単位で考えることにしない?

膨大な歴史の1ページにも満たないウチらの人生でウダウダ悩むより、壮大な文明を築いて文明的な勝利を収めようよ。

言っとくけどウチら、一瞬だけ生きて、一瞬で死んじゃうよ。

だからさ、Sid Meier’s Civilization® VIをやろうよ。

さまざまな現象が起きますし、ターン制ストラテジーなので、現象の把握の練習もできます。

何卒よろしくお願いいたします。


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