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マリリンモンローの壁

マリリンモンローの壁とは、私の実家にある壁である。

その白い壁に20年近く飾られているマリリンモンローのピンナップは、大きさはA2サイズ。おそらくこの世で1番有名であろう有名な白いドレス姿ではなく、まとっているのは暗い色のビスチェ。カメラに対して体を横に向け、腰に手を当てて上半身をひねり、こちらに視線を向けたポーズで全身が写っているモノクロのピンナップだ。A2サイズの彼女は控えめな額縁に入れられ、笑顔でそこに居続けている。

マリリンモンローの車

マリリンモンローの車とは、私の父が所有していた車である。

かつて父は「バニング」と呼ばれる改造車に心酔し、働いて得た金の大半をそれに注ぎ込んでいた。私が生まれる前、父がまだ父でなかった頃からのライフワークだったそれは、下の兄弟たちが生まれてもしばらく続いた。

1989年に開業した横浜の大黒パーキングエリア(以下:大黒PA)。90年代中頃の毎週末には、多くのカスタムカー(バニング)が集まるようになったという。当時の熱を肌で感じてはいたものの、幼かった私の記憶はと言えば「キラキラ光る車」「大きな音が出る車」「絵が描いてある車」がたくさんあるところ……そのくらいだ。それらひとつひとつが、毎週末横浜の夜を照らし、鳴らし、彩っていた。

そして、何を隠そう父と母はそこで出会った。

人生の始まりの場所

母はどちらかといれば真面目な方で、車も動きゃ良いというくらいの人間だ。自発的にカスタムカーが集まるような場に行くことは無い。そんな中、当時の友人に誘われて気晴らしに大黒PAに出かけたのだという。従って、父がバニングに心酔していなければ私は生まれていなかったことになる。私たち兄弟は大黒PAに足を向けて寝られないのだ。

大黒PAからの帰り道には、後部座席で窓の外を眺めた。高速道路の両端に立っている、丸いオレンジの明かりが、車の中を順番に照らしてはすぐ消えていく。それは私にとって祭りの後で、それを見ていると大抵寝てしまった。時々、途中で目が覚めることもあった。自分と父以外は皆眠っている。後部座席から運転をしている父の頬をじっと見ていると、輪郭が次々とオレンジの光で縁取られていく。そんな時、車の中で流れているのは決まってサザンオールスターズか松任谷由美で、その音と光と色と空間の記憶は私の人生に強烈に焼き付いた原初の記憶でもある。

すなわち、私が発生する前段階としての「人生の始まりの場所」は大黒PAである。そして、人生で初めて鮮烈に残った音と光と色と空間の記憶としての「人生の始まりの記憶」、それは大黒PAからの帰り道だった。それらは今後私がどのような人生を歩んだとしても、絶対に変わるものではない。

強い感情の記憶

さて、そんな父が所持していたバニング。これが、壁の話に通じてくる。その車体全体には、マリリンモンローのペイントが施されていた。私はこれがたまらず好きだった。純粋に「自分が絵を描くから」というのもあったと思うが、何せ派手で目立つ。一度、渋谷の街をバニングで通った時のことは忘れられない。周りの人々の視線が、自分の乗っている車に釘付けで……すごく高揚したのを覚えている。

今にして思えば「派手で目立つ」というのは、必ずしもプラスの感情だけが生まれるものではないのだが、当時の自分は「お父さんの車ってすごい!」と思っていた。これが人生で初めて抱いた高揚の感情だったと記憶している。だから、私は父の車が好きだった。

そこから数年後、父の車は売りに出された。

空白の期間

マリリンモンローがいなくなってから、車の記憶はあまりない。単に興味を失ったのだと思う。何も描かれていない無地の車には、誰も目線をよこさない。なぜ、あんなにかっこいい車を手放したのかわからなかった。どうして売っちゃったの?というようなことを母か父かに聞いた記憶もある(定かではないが/もし本当にその質問をしていたとしたら、酷なことをしてしまったなと思う)。

ただ、当時小学生だった私はもちろん何もわかっていなかった。車両代、カスタム費用、維持費諸々。育ち盛りの子供を何人も抱えながらバニングのオーナーを続けていくのは難しかったのだろう。10年間で5台を乗り換えたというその歴史は、静かに幕を閉じた。

帰ってきたマリリンモンロー

またさらに数年後、私たち家族は引っ越した。家財を運び、片づけをし、挨拶まわりも落ち着いた。そして最後……締めを飾るようにして、まとめられた荷物のどこかからか額縁に入ったそれを、父が出してきたのだった。

そうして壁に飾られて20年、それはずっとそこに居続けているという最初の話に戻る。

完成された壁

先日、母と出かけた先で見つけた家具屋で革素材のソファを吟味していた。我が家の直近のタスクとして、犬の毛にまみれたソファを新調する目標があったためだ。大まかに目星をつけ、ついでに色々見ていく。奥に進むと照明コーナーがあった。色のついたガラスを使ったもの、傘の形が特徴的なもの、複数の棒の両端に電球が付いており光源の位置を変えられる仕組みになっているものなど、二人揃って高揚しきり、すっかりその家具屋のファンになってしまった。

家に帰った後もテンションが上がりきったままだった。リビングの机にカタログを広げて、あれはよかった、これも良かったなどと話している最中、父が帰ってきた。こんなソファがあって、色がこんなで、手触りはこうで……と、ソファのプレゼンを父相手に行う。ちょっと高くない?と父。私の給付金を足せば良いよと母。マジこのソファサイコーだったから早くお父さんにも座って欲しいと私。さあ、私が出来るのはここまでだ。あとは母の頑張り次第……その時、ふとマリリンモンローの壁が目に入った。マリリンモンローの壁のすぐ上の天井には、ちょうどマリリンモンローに光が当たるよう、しゃれたダウンライトが設置されている。その時は消えていたが、照明の話で盛り上がったあとだったので、せっかくなので点けた。マリリンモンローが照らされる。ここの照明はいじらんでいいな、と思った。

その時ふと、父に提案をした。

「ここの壁さあ、もっとマリリンモンロー飾れば?埋め尽くすくらい」

「良いよ、これだけで」

「あ、そう……」

「もしなんか飾りたいんなら、自分の絵飾れば」

「え! いいの?」

「なんなら階段の壁に絵を描いたっていいよ」

壁に絵を描いて良いよなんて言ってくれる親どう考えても世界一好きすぎる。私はやったー!と言って喜んだ。

さっきは照明はいじらんで良いなと思ったが、もし何か手を加えるとしたら……電球の色をオレンジっぽくするくらいは良いかもしれない。だってそしたら、人生の始まりを凝縮した壁になるだろ。

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