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はじめまして、のこと。

すれ違いざまに、こんにちは。
私、ozi. と申します。

1994年生まれ。大谷翔平と羽生結弦は大体友達。今年でめでたく生誕30周年。

そんな節目の年を記念して、現在校正者として正社員で働いている私が、いよいよフリーランスとして働くまでの記録を、月に一度。月末あたりに備忘録として綴る“note”として活用するつもりで始めております。

右も左も分からないちっぽけな新米アラサーが踏み出す、大きな一歩目の物語。それは、とんだ喜劇になることを願って。

よければ、どうぞご期待ください。

浅すぎる経歴

夢見る就活時代

幼稚園の頃から母が絵本を読みかせてくれていたおかげか、私は本を読むことが大好きな幼女に育ちました。『エルマーのぼうけん』のような児童文学から『天空の蜂』のような重厚なクライムサスペンス小説まで。小学校低学年から言葉の面白さに沢山触れてきた私は、徐々に活字の可能性や魅力的な扱い方にも興味を持ち、第一志望の大学で日本語学を専攻していました。
結局は単位のために通ったような退屈な学舎でしたが「言葉を学んでいる」という環境自体は刺激的で、趣味で二次創作の小説を書き始めたり、読んだ漫画の書評を書くためのブログを開設するなど文章を発表する機会を次々と設け、案の定あまり友人の多くなかった学生生活を自ら満喫させていました。

興味を追いかけて、言葉の世界をどんどんと広げる。私にとって、それは凄く楽しい日々。
どうせ働くのなら、そんな毎日を仕事にしたい。


私の中の言葉を扱う仕事のイメージは、例えるなら『舟を編む』のような、地味だけれど、ペンを握った私の手に確かに残る、圧倒的な達成感。

となると、真っ先に思いつくのは“編集者”という仕事でしょうか。けれど、しばらく協調性と無縁の生活をしていた私は「一人で黙々と出来る仕事がしたい」という希望も捨てるつもりはありませんでした。

人ではなく、数字ではなく。
もっとシンプルに、文字や言葉と向き合う仕事はないものか。

その時ハマっていた、とあるジャンルの漫画の中。私は、とうとう天職を見つけます。

それが、校正との出会いでした。


たった3ヶ月の新卒時代

はい。ここで残念なお知らせです。
結局私が就職したのは、企業説明会中に参加した学生の8割が寝ていたような、地方のコンタクトレンズメーカーでした。
それも働いたのは、なんとたったの3ヶ月。

己と会社勤めの相性が最悪であることくらい、わざわざ某有名企業の就職診断を受けずとも、双方分かりきったことでした。
そもそも『労働』という行為自体に全くピンときておらず、アルバイトですら短期や単発ばかりで好きな仕事だけを転々としていた、穀潰し出身・ゆとり育ち。
AIですらひたすら薦めてくるのは弁護士やファイナンシャルプランナー、ライターに小説家……。
つまり仲間と助け合いながら縁を繋げてお金を貰うのではなく、自分の努力と経験と才能だけでお金を稼ぐ仕事のことです。

前者は組織に所属して働くということ。
後者は個人事業主やフリーランスとして働くということ。

私だって本当は初めから後者のように生きたかったです。けれど、学校や周りは私が社会に溶け込む支援はしてくれても、独立する応援はしてくれません。
サークルにも所属せず、顔見知りの知識人も少なかった私は、母子家庭だったこともあり、企業への就職を選ぶしか選択肢がないものだと思ってしまっていました。

一人で生きていく知識や覚悟を身に付けるのに、大学4年生の1年間では、どうにもならなかったのです。

しかし……。本当に企業の人事の方は、よく就活生を見ていらっしゃるなと思います。

「やる気はないが、とにかく一人で地味に働きたいので志望しました」という私の思惑を、作り笑いの奥に見透かしたかのように、事務系の面接は全て全滅。
もちろん出版系にもいくつか履歴書を送りましたが、大学フィルターを通った田舎の私大卒の履歴書なんて、速攻燃えるゴミの袋の中。
とにかく言葉を扱えるなら何でもいいと、地元の求人誌を作っている会社や、何を血迷ったか記憶にありませんがwebエンジニアの求人にも応募。
あまりにもお祈りされすぎて、どんどん言葉の道から離れて地元の大きな商業施設の職員なども受けましたが、付け焼き刃の薄っぺらい志望動機でうっかり選考を通っても、いつも落とされるのはグループディスカッションや集団面接でした。

私は幼い頃から、人と一緒に何かをすることが大の苦手。
人間関係は長期にわたると、どうしても境界線が曖昧になってきますよね?責任を押し付けられたり、仕事を増やされたり、出来合いの連帯感で負担を分け合わせられたり。
私はそういうのが、本っ当にノーサンキューなのです。ONE FOR ALLがなんだって?
私は私の仕事をきちんとやるから、お前はお前の仕事をお前だけでやれ。根っからの逆ジャイアンタイプ。おそらくパーソナルスペースがかなり広いのだと思います。
今流行りの性格診断的に言うとINTJ。人を疑い、自分をも疑い続ける、とんでもない一匹狼人間のことだそうです。

何度やってもこのおじさんが出てきちゃう


けれど何度不適合者だと言われても、合格を言い渡されるまで。面接に、ディスカッションに、挑戦し続けなければなりません。
私は働かなければならないのです。

新卒だから。せっかく大学を出るのだから。
来年からは社会人として、周りから出遅れることなく、働いていなければいけない。
それは、どうしても、人として。

そうして私は唐突にホテル業を受け始めます。
選んだ理由としては、ライブの遠征で全国を飛び回っていた経験から旅行することが好きだったことと、当時はインバウンド最盛期で採用人数も多かったこと。
そして何より、『全国』に店舗があること。

私はこの時から、就職した企業を利用して、上京することを計画していました。
一人であてもなく上京するのは流石に勇気がいるけれど、転勤となれば気軽に海を越えられる。
そして3年ほど社会人経験を積んだ後、校正プロダクションにでも入ろうと考えていました。

実際にホテル業で幾つか内定を頂きましたが、こちらも慎重な脳内審議の結果、見送らせてもらうことにしました。
既に職種は何だって良かったのです。全国転勤のある会社なら。

そうして入社した、コンタクトレンズ会社。配属されたのは、地域で最も忙しい店舗。
人が苦手なくせに毎日が接客。数字が苦手なのに売り上げを出せと朝礼で名指しされ、気難しい客や日替わりで来る非常勤医師を先輩からさりげなく押し付けられる。(今思えば完全なパワハラ……)

夜は泣きながら帰って、朝は地下鉄に飛び込んで全てが終わる夢を見る。
母親と食べに行った焼肉の味が何も分からなかった、あの瞬間。私は「限界だ」と心の中で強く思ったのを覚えています。

他人の同情を買う内容の大嘘を吐いて退職を希望し、人生で初めてのボーナスを3万円貰う代わりに。
私はたった3ヶ月で新卒カードを、やっぱり見事ドブに捨てたのでした。


大収穫のフリーター時代

やあ、こんな私をゆとりだって笑うかい?
まあまあ。あと数行、見ててやってくださいよ。

実際、新卒で入った仕事を辞めてから次の仕事に就くまでに、無職だった期間は1週間もありませんでした。
今度は用意周到に準備をして、選んだ仕事は、たった3ヶ月では身に付かなかった社会性を養い、電話対応や対人スキルを学べるようにと、コールセンター。

……そして!
そこそこの倍率と実技試験を突破して手にした、広告代理店での校正業務のアルバイト!

なんと、あっさり夢を掴んでしまうんですね。凄いじゃん、私。えっへん。

この時の私は確かに、生きることに絶望していました。私の目の前に迫り来る電車を「今これに飛び込めば会社に行かずに済むのかあああ」と涙目になりながら眺め続けた、社会人になってからの3ヶ月。

それでも「働くこと」は、私にとって苦痛にもなり。
世界が変われば、「希望」にもなりうる。
そんな存在だったようです。


午前中は電話を取って、午後からはペンを取る。
朝9時から夜9時まで。土日も休まず、ダブルワーク。

元々電話が苦手だったので、コールセンターにはため息を吐きながら出社していましたが(笑)
広告代理店での校正業務は、本当に毎日が勉強・発見の連続で。本当に、本当に、毎日が楽しくて仕方ありませんでした。

その広告代理店は親会社から独立したばかりの企業で、一層のサービス向上のためにと校正員を募集していました。かなりベンチャー気質で、社長も若く熱意溢れる方でした。
完全業界未経験・たった新卒3ヶ月で退職した、経歴や履歴書の上ではどう見ても社会的に価値のない、普通の企業ならまずは渋い顔を向けられるであろう、ダメ人間の私。この時、まだ22歳。
それでも私のやる気と根気と、校正にかける熱い想いを正当に評価して、快く採用して下さり、最終的には「正社員にならないか」と声をかけてくださった社長。いや、懐でかすきやろ。今でも本当に感謝しています。

完全なるポテンシャル採用の私の他に、もう一名。こちらは最近まで某超有名印刷会社で校正として働いており、定年退職をされたばかりのSさんという方が採用されていました。
Sさんはとても優しいおばあちゃんで、私の想いを汲んでか、現場にいた頃の校正にまつわる話を沢山聞かせて下さいました。

そうして私は働きながらもプロの校正技術を学べる環境で、約1年間。良縁に恵まれた、大成功の第一歩目。そんなフリーター時代を過ごすこととなります。


ようやく『まとも』に働く時代へ

やりたい仕事、とは言え、ぶっちゃけアルバイトの身。危機感はそれなりにありました。
フリーターをやっている間も、また来たるべき時に潰しが効くようにと、Wordの資格を取ってみたり、校正の資格の勉強をしてみたり、クリエイティブ系の企業への斡旋が得意な派遣会社に登録したりと、常に動き回っていました。

そんな時、とある派遣会社から、主に印刷会社を3社紹介してもらいます。それは、どれも全国や地元でトップクラスの業績を誇る大手企業。2社は校正も含む編集業務。残る1社は基本的には校正業務のみの募集でした。

この頃の派遣会社の営業Kさんとのやりとりがメールで残っているのですが、見て下さいよ、私の本気。

↓「志望動機を書いてくれ」と言われた時に送った実際のメール

論文?いいえ、志望動機です
いや〜、めっちゃ分かるわぁ
この考え方は今の会社でも使ってますね
お〜、ようやった!

他にも、全く記憶になかったのですが、どうやら広告代理店にいた時に「校正ルールを作って欲しい」と言われて、Sさんと中身の精査はしていたようですが、基本的には私が作っていたようです。
全くの校正未経験者(正社員)が校正員(アルバイト)から話を聞いてマニュアルに落とし込むよりは、アルバイトでも実際の校正員に作ってもらった方が精度も高いし実用性があるのも分かりますが、たった1年未満校正をかじっただけのアルバイトがマニュアル作りを任せてもらえるほど真面目に仕事してたんですね、私。ほらね、どの辺が無価値なゆとり世代だって言うんだい?案外真面目な頑張り屋さんでしょ?

基本的な校正ルールから、初校〜最終校までの流れ、
各部門や企業ごとの注意点がまとめてありました


こんな感じで少しの実績と大きな熱意があった私に、派遣会社がチャンスをくれたわけです。一気に3つも。


そうして出会ったのが、今の会社。
(態度ではなく役職的に)偉そうなおじさん6名くらいに囲まれて、ガッチガチの緊張感の中で面談をされたあの日のことは、今でも鮮明に覚えています。

そして弊社で働き始めて……から、本当に色々ありました(笑)この時点で5000字を超えておりますので、簡単に説明しますね。

実は働き始めて1年も経たないうちに、有難いことに正社員登用への話を貰うことになります。
が!マジで洒落にならないレベルの激務だったので、私は「一度考えさせて欲しい」と断っています。ちなみにどのくらいの激務だったかと言うと、たった実働15日間程で残業80時間越え。朝の8時半から次の日の22時まで泊まり込みでぶっ通し働いたりしていました。
※今は労働体勢が整い、残業も0時以降は一切禁止になったので、労基はきっちり守られています。

そんなわけで渋った期間も含めて、約1年半。派遣社員からいよいよ正社員、まともな社会人として働き始めるわけです。いや〜!長かったね!

好きな仕事をしている、正社員生活。
誰かが憧れそうな字面。それは、あの時の私が憧れた未来。

地獄ではない。

けれど。

思っていたより、天国でも、ありませんでした。

最終目標:フリーランス

弊社は校正の専門部署がある、他の企業と比べるとかなり珍しい印刷会社。その分細やかで確実、表記や見栄えも校正ルールや常に擦り合わせられた一定の校正員の価値観を基に作られるので、トータルで見ても美しい紙面作りが売りです。実際にとある大企業の印刷物は、他社と制作・印刷を分担していますが、校正精度の高さも認められて、受注件数は群を抜いて弊社がトップです。
校正者としては栄誉とやりがいのある会社に正社員として勤めて、早5年。ずっとこの仕事が続けばいいのに。そういうわけにもいかない、お年頃。そろそろ次のステップが見えてきました。

チームの業務改善。新人指導。校正ルールの改訂。営業や営業補助、デザイナーとのやり取り。
校正は元来、集中力が大切な仕事です。目線の流れ、気持ちの流れ、注意力の流れ。それらが途切れた時、そこにミスは生まれます。

しかし年々求められる能力は、私が磨きたい校正力ではなく、全く興味のない中継ぎ力。実際に校正力は派遣社員に継承して、正社員は校正員がより満足して働ける職場作りへの尽力を求められています。

視界の端でチラつかせられる、昇進という足枷。
私も最近は後輩の指導やマニュアルの作成、業務改善を目的としたミーティングの参加などを余儀なくされており、校正の仕事に集中させてもらえなくなってきました。

校正業務で一日が潰れて残業になるのは構いません。それは私が望んだことであり、そのことで会社に評価して貰えるなら、私は“校正なら”いくらでも頑張る決意があります。

でも、今、会社に求められて評価に値する私の働きは、既に校正の軸から逸れたものばかりです。そこを評価されても、私は何のやりがいも感じることができません。

その会社で出来ることを増やすより、校正として出来ることを増やしたい。

視野の幅を広げるなら、あくまで上下ではなく、左右。私の価値を役職で名付けてもらう必要はありません。

今年で30歳。勤続5年目。ここらで私が人生を歩む上で手元に残しておきたいものを一度整理する時間。

社会的保証。安定した生涯収入。上司からの期待。評価されても変わり映えのしない毎日。

不安定な生活。まだ勉強し足りない校正業務。孤独との戦い。評価されるかも分からない刺激的な毎日。

私が“生きている”のは、どっちの未来でありたいか。“私が”変わるのか、“会社を”変えるのか。

さようなら、———。

今後の『私』計画

前行、めっちゃロマンティックに終わったでしょ?得意なんですよ、こういうの(笑)

そんなわけで弊社では成長の幅に限界を感じた私。独立することを決意しました〜!パチパチ〜!

まず最終目的地としては以下です。
・フリーランスで校正、ライターの仕事をする
→今、noteを始めたのもライターの仕事を視野に入れている為だったりします。自分で書けて校正も出来る女、一石二鳥で魅力しかなくない?(お仕事お待ちしてます)
→ちなみに弊社には雇用形態を変え、今後はパートとして雇ってもらえないか打診するつもりです。(基本は在宅で、必要に応じて出社するスタイルを予定。働き方には割と柔軟な弊社ですが果たして……)

・中古のマンションを買う(予算:500〜1500万円)
→地元から離れる気もなければ、結婚するつもりもない私。家で働くことを視野に入れているなら、賃貸で永遠に家賃を払うよりは、家を買った方が良いという意見があり、採用しました。現在実家でも犬を飼っているのですが、私の生涯であともう一匹は可愛い相棒が欲しいなと思っています。

上記を叶える為に、ざっくり組んだ前半のスケジュールはこんな感じ。

【1月〜7月】
*noteの開設、運用
*校正の資格勉強の再開
*案件紹介サイトに使うサムネ・プロフィール文の勉強、作成
*副業やフリーランスに関する知識集め
(最初は副業として経験値を積む予定)
*毎月の収支計算と記録、収益目標設定
*独立に必要な準備(口座・新規メールドメインの取得等)の洗い出し、設定
*物件の検索(6月中には目処付けたい)

⦅夏のボーナスで買うもの⦆
・パソコン(モニターのみ)
・キーボード(ずっと狙ってる3万円のやつ)
・国語辞典

【8月】
*校正技能検定中級試験

とりあえず8月の校正技能検定中級試験を第一のゴールとして、勉強・準備を行なっていきたいと思っています。

その間にもし副業が許されそうなら、同時に実績を積むことも始める予定です。憧れの週末フリーランス。
収入はあるので焦ることはなく、それでも案件をこなす・そもそも受注することの難しさや、働き方を早めに知り、対処しておくのが一番良いと思います。

あとは、全くの未知数ですが、vlogにも興味があります。こちらは収益目的ではなく、完全な趣味として。人の生活を見るのが好きなので、自分の生活を自分で撮って彩ってみるのも面白そうです。

おわり。そして、はじまり

ここまで約7000字。お付き合い頂いた皆さん、本当に有難うございました。
ozi.という人間のことが書かれた、ただの生い立ち殴り書きでしたが、人が実際に生きた形跡というのは、誰かの歩みを勇気付ける足跡でもあると思います。

きっとつまらない話ばかりですが、どう思うかは人それぞれ。私は楽しんで、生きたいと思います。

応援よろしくお願い致します。

ozi.

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