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夏の夜、自由とその様式の美しさを抱きしめて眠りたい|江國香織『間宮兄弟』


 こんなにも愛おしい小説に出会えたことが嬉しくて、シーツと一緒に抱きしめて眠りたいと思った。

 まだ夏休みが始まる前の7月、図書館で江國香織さんの本を探していたら、目的の本が貸し出し中だった。もうどの本を借りようとしていたのか、今では忘れてしまった。江國さんのコーナーに並んでいる本の中で面白いタイトルがあったので手に取ると、表紙がすごく気に入ったので借りてみることにした。表紙が素敵な本が好きだ。

『間宮兄弟』

 1ページ目から溢れんばかりに夏の空気が満タンで、酷暑の現在に、ひと昔前の夏の音や香りを思い出し嬉しくなった。偶然夏のお話を引き当てた自分も褒めてやりたい。この小説は表紙の通り、二人の兄弟の話のようだ。

 明信(アキノブ)と徹信(テツノブ)、30代半ばの3つ違いの兄弟は生まれた時からずっと同じ町で育ち、暮らし、今も同じ町の賃貸マンションを二人で借りて住んでいる。二人は数々の共通の趣味を持ち、似たような生活リズムで暮らし、それでいて各自自分だけの習慣もしっかりあるようで、きちんとお互いを尊重し、制約されず存分に自由があり、とても仲良くのびのびと暮らしている。兄弟、姉妹、親子、同居、同棲、夫婦、色んな呼び名で一つ屋根の下で暮らすことはどこにでもある風景だが、この二人のように尊重しあって暮らすことができたらどんなに素晴らしく充実した日々を送ることができるだろうか。

 ただ単にがんばってお互いに遠慮して何も言わず、和を乱さず、というわけではなく、その自由な暮らしの中にはいつも二人だけの美しい様式があった。夏は素麺、風鈴、スパイスカレー、ナイターのTV観戦(スコアも付ける)、特別な日には浴衣だって着てしまう。夜の語りのお供にはビールやコーヒー牛乳、ボードゲームや深夜の紙飛行機飛ばし、映画ナイト、失恋したら新幹線を見に行き、母親の誕生日を祝い、冬になればおでんを楽しみ、冬至にはかぼちゃを炊いてゆず湯に入り、暮れは紅白を見て年明けにはおせちもすき焼きも食べるのだ。決まったことを何年も変わらず愛おしく思い、楽しんで続ける。この本を読んでそんな日々を羨ましいと思った人はきっとたくさんいるのではないかと思う。

 人間が違う人間と上手くやっていくには、ただ相手を思いやる気持ちだけではなく、こういったある種の決められたルールが必要な時があるのかもしれない。私は茶道などをやっているわけではないが、茶道の進め方というのはそういう風に感じることがある。一つ一つが決められた動きだからこそ、臨機応変に会話に気を遣う必要もないし、ジョークを言う必要などもない。流れの通りしなやかに行事を進め、「暑いですね」「寒いですね」と季節を感じ、掛け軸や器を「素敵ですね」と愛でて、お茶を味わい、丁寧に礼を言い帰ればよいのではないか。ルールばかりで退屈だと言われればそれまでだが、では、何を喋ろうか、どうやって自分を良く見せようか、相手を言い負かしてやろうとヤキモキするような集まりばかりではそのうち気が変になってしまうのではないか。

 この二人の兄弟が培ってきた美しい様式は、もちろん話の中にも出てくるチャーミングな両親から影響を受けたものも多くあるのだろうが、それに加えて自分達でごくごく自然に獲得してきたものだろう。「何かにとことん熱中する力」から生まれる「様式を愛する文脈」を持った素敵な二人は周りからは少し浮いた存在として描かれており、友人も少ないし恋人もいない。それでも、私もこんな風に季節の空気を目一杯愛して、その一日を、その一時間を、その瞬間を愛して暮らしてみたいと思った。そして、ありとあらゆる周りのものに振り回され、自分も大いに周囲を乱し、身も心も振り乱し節操なく生きてきた自分をとてもバカで可哀想だと思ったし、まあでも大丈夫だよ、あんまり気に病むなよ、と慰めてやりたくなった。

 仕事を辞めてからどんどん毎日は過ぎていき、自然に人と関わらなくなっていった。はじめは人と喋らない日々というものは、もっと自分を鬱屈とした気持ちにさせていくものかと思っていたが、家族以外の誰とも話をしない日々に心が安らいでいる。そして色んなものを取り戻しているような気持ちになる。

 自分は本を読むのが好きだったなあとか、料理だってほんとは好きだったはずで、お菓子づくりもすごく好きだった。運動も好きだ。人の話を聞くのが大好きで、でもたくさんの人の集まりに参加したり、自分がその中でお喋りをするというのは、平気で楽しんでいたようで実はすごく無理をしていたんだなと改めて気付く。そういえば小さい頃から人前ではものすごく緊張するたちだった。そして、私はたくさん人を傷つけたと思う。

 間宮兄弟は一生懸命に周りとの調和を自分なりに考えて行動しているにも関わらず、それらが空回りして二人共周りの人から気味悪く思われたりすることが多々ある。挙動が怪しいとか、行動が常識よりも過ぎていると見られてしまい(特に徹信は積極的に行動するタイプ)誤解を生むこともある。けれどもきちんと観察すると、明信は他人の噂話や愚痴、悪口を言わないという清潔な性格の持ち主であり、徹信は自分のことを

「よく知らない男につきまとわれても、迷惑っていうか不気味ですよね。」

『間宮兄弟』本文より引用

と言い、きちんと一線を引いて自分の想いを客観的に処理して断ち切ることができている。そのタイミングややり方が少し人と違うだけなのだ。自分も普段暮らしていて、周りの人たちとは明らかに違うな、と認識している部分が多くがあるのでこの本を読んでいると感じ入るところがあり、また一層悲しく愛おしくなるのだ。

 江國さんの小説を読むと、どの本にもたくさんの美しい季節の音、香り、空気そのものに出会うことができる。それを物語の中に極上の文章で綴ってそっと包み込んで、様々な形態の物語としてプレゼントのように届けてくれている。どうやってその美しい包みを解いて何を受け取るかは人それぞれだろう。

 
 みなさんの愛おしさや悲しみ、落胆や美しい日々はどこにありますか?


この本をどこかで見かけたら是非読んでみてください。特に夏にはおすすめの一冊です。


追記:
余談ですが映画版の『間宮兄弟』は驚くほど内容が違うので、本を読んだ後で比較して見てみると面白いかもしれません。森田芳光監督です。





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