「言ってる人」はほとんどできてない問題。
たぶんね、「言ってる人」って、ほとんどできてない。
「自己受容しましょう」
って伝えてる人は、自己受容ができていない。
「自分を愛しましょう」
って言ってる人は、じぶんを愛したい。
「ホンネで生きよう」
って言ってる人は、ホンネで生きたい。
おそらくほとんどの人は
「願望」
が
「伝えたいこと」
になっている。
承認欲求を捨てようと言っている人は
「承認欲求が大きすぎて、捨てたくて仕方がない」。
「罪悪感を捨ててもいい!」
と言っている人は、罪悪感を強く持っている。
でね、面白いのは、それが
「ダメだ」
言っているわけではないの。
大事なポイントは
「できていない人が言っても、それなりに効力を持つ」
ってことなの。
だから僕みたいな不完全&不完璧な人間が文章を書いても
「刺さりました!」
「救われました」
「涙が出ました」
「こころが軽くなりました」
みたいなお言葉をいただけるわけです。
これ、「完全に自己受容ができて、完全にホンネだけで生きてて、完全に自己愛に満たされた状態」になってから、何か始めようと思ったら、いつまで経っても始められないじゃん?
だから
「できていないくていい」
んだよね。
「できていない人」でも、誰かの心をラクにできる。
一生懸命に関われば、それなりに目の前の人に届く。
いま進めている「ホンネ対話」のグループでは、ぼくを含めて、みんないろいろ抱えているし、ぜんぜん完璧じゃない。
でも、そんな完璧じゃない人どうしが、真正面から、真摯に、温かく人に関わって、どんどん癒されてピカピカになってきている。
だからさ、ある意味で
「じぶんができているかどうか」
ってあまり気にしなくていいと思うんだよ。
SNSの発信なんかでもそうだよね。
「私なんかが言ってもいいのかな」
って思ったりするんだけど、
「そこは、ちょっと棚に上げてもいい」
のかもしれないなって思うの。
いいじゃん、自分ができていようがいまいが、その発信で誰かの心に、すこしでも明かりが灯るのなら。
と、そんなことを自分に伝えたくて、今日もブログを書いています。
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