見出し画像

なぜ問題は「解決」する必要がないのか?

ぼくたちは、なにかトラブルがあると、それを

「解決しよう」

とがんばってしまうのです。

しかし実はこの

「解決しよう」

という気持ちがトラブルを複雑にしてしまっていることはすくなくありません。

しかし実はトラブルというのは

「解決しなくてもいい」

のです。

それはいったいどういうことなのか。

そもそも「解決しよう」という発想のもとにあるのは

「これはいけない」
「これは間違っていることだ」
「これはおかしいことだ」

という「否定」があります。

それがたとえ夫婦ゲンカであれ、不登校であれ、ビジネスの問題であれ、

「これはダメだ」

と思うからこそ、

「解決しよう」
「解決したい」
「解決しなきゃ」

と感じるわけです。

もちろん、「そう感じてしまう」のも、人間のはたらきのひとつですから、それはそれでよいのです。

大切なのは、ここに

「当然のように”否定”があること」

に気づくということなのです。

そして、その「否定」の反発としての

「解決しよう」

というのは、実は「否定」を強化してしまうのです。

たとえばビジネスで「集客ができない」などの「問題」があるとき、ついぼくらは

「早く集客しなきゃ!」
「何とか集客しなきゃ!」

と焦るものです。

そんなとき、そのウラにあるものを考えてみますと、

「集客できないと恥ずかしい」
「集客できないと私には価値がない」
「集客できないと潰れちゃう…」

という「否定」があるものです。

だからまずはココを見る。

そして、それは「本当」なのかどうかを考えるのです。

「集客できない」ということは、本当に恥ずかしいのか?

集客できなかったら、価値がないのか?

もし潰れちゃったら、それで本当に終わりなのか?

そういうことを考えていきますと、意外に「否定」そのものが、思い込みだったりします。

「あ、そうか、集客できなくても”大きな目で見れば大丈夫”なんだ」

それを思い出すのが、ホンネ哲学(ホンネ経営)の根幹にあるのです。

この「大きな目で見れば大丈夫」を思い出したうえで、

「やるべきことをやる」
「できることを、淡々とやる」

そのなかで「天命」が見えてくると、「宇宙(神、霊性)」のハタラキが加担してくれるわけです。

だからこそ、

「問題を解決しなきゃ」

と焦ることなく、その奥やウラにある

「否定」

を見つけていく。

そのうえで

「昨日まで否定していたことを、今日、ゆるしていく」。

そうすることで、エネルギー(呼吸)が深まり、

「大いなる流れに乗っていることを思い出せる」

そんなふうに考えています。




この記事が参加している募集

#仕事について話そう

110,232件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?