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心配できてるか心配


夜12時くらいに友達からLINE。

終電逃したから家に泊めてくれないかということで、OKしたのだけどまたしばらく後にやっぱり大丈夫!と。
アテが見つかったのかと聞いたら、見つかってないけど探すから大丈夫と。

まあウチは決して近くないだろうし、大丈夫と言っている人に来い来い言うのもヤボかしらと思い、健闘を祈っておしまい。

翌日昼頃にそういえばどうしただろうか、と気になり「大丈夫だった?」と連絡をしようか迷うが、これ果たして本当に心配できているだろうか。

心配する連絡を入れた方がいいという義務感というか「あなたのことを想っていました…!」というポーズ、カッコつけみたいになっていないだろうか。本当に心配しているのであれば、朝起きてすぐに連絡するぐらいの気概があるような気がするが、しかし昼まで呑気にいつも通り生活していたし美味しくランチまで食べ終え食後のコーヒーまで頂いている。

心配とは心を配ると書くのだし、心からのものでない場合、心配というよりただの配慮ということに…?

そんなことを考えていてとりあえず置いていたらもう夕方で、心配の賞味期限も切れている感じがしたので結局何もせず。
便りがないのは良い便り、というのは連絡不精が生み出した都合のいい言葉ではないかしら、とそんなことを思ったりする。

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