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育ての母「ちゃあちゃん」がなくなって

 育ての母である人がなくなった。
 エッセイにも何度か登場している「ちゃあちゃん」だ。
 享年90というから、大往生と言えるのだろうが、あまりに急逝だった。
 ちゃあちゃんは、実家のお隣に住むおばちゃんだ。わたしの実家とちゃあちゃんの家は、まったく血縁関係がない。でも『家族ぐるみ』と括れないほどで、ほとんど一つの家族と言っていい。
 たとえばわたしは、ちゃあちゃんの家で生まれ育った。産院から直行だったと聞いている。その経緯はこれまでのエッセイでも書いているので簡略するが、わたしにミルクをやり、オムツを替えてくれたのはちゃあちゃんだ。
 添い寝してくれたのも、毎日のご飯を作ってくれたのも、お弁当を作ってくれたのも、スカートがほつれたら縫ってくれたのも……とにいかく「お母さん」がしてくれることすべて、わたしはちゃあちゃんにしてもらってきた。
 わたしにとって、そういう存在だった。
 ちゃあちゃんはその日のお昼も、ご近所友達とみんなで少し離れたスーパーに出かけて買い物をし、節分には早いけれどと恵方巻きも買っておいしい、おいしいと、食べたそうだ。そして、いつものようにお風呂に入った。
 わたしたち姉妹が兄のように慕っているちゃあちゃんの息子さんは、日頃から入浴時の音に気を配っていたようで、あれ、音がしないな、とすぐに異変に気づいたらしい。声を掛けても返事がなく、ドアを開けてみると、眠るように亡くなってしまっていたということだった。
「ちゃあちゃんな、ピンピンコロリで逝きたいねん」
 そう口癖のようによく言っていたが、こんなにも潔く有言実行されるとは、あっぱれとしか言いようがない。もう少し残される者に心の準備させてくれてもよかったのに、と恨み節を言いたくなるほどだ。
 お正月にみんなで集まれてよかったとつくづく思う。
 もし年末に亡くなったら、しばらく顔を見れていないままのお別れになったかもしれない。最後に会った時の記憶が鮮やかなうちだっったことに、少し救われた。
 一月三日、新幹線に乗るのに送ってもらう車に、ちゃあちゃんも付き合ってくれて、新大阪駅のロータリーで言葉を交わしたのが最後になった。
「ありがとうね、じゃあ、またね」
 わたしがそう言うと、
「ありがとうな。またおいでや」
 そう言って、ちゃあちゃんは笑顔で手を振ってくれた。

 思い返せば、この正月は完璧な一日だった。
 一月二日にわたしの実家で河豚鍋をすると、ちゃあちゃん一家、というか一族というべきだろうか、ちゃあちゃんの孫にあたる子たちまでもが、かわいい新妻や愛嬌のある彼氏も連れてきてくれて、大変賑やかに過ごせた。
 わたしの父にとっても、ちゃあちゃんのお孫さんは自分の孫のようなもので、とても嬉しそうだった。
 ちゃあちゃんは、みんながギュウギュウになって座っている掘り炬燵から少し離れたところに椅子を置いて、宴の様子を眺めていた。
 生きるのは楽しいことばかりではない。でも生きていれば、こうしてたまに、宝物のような一瞬がご褒美みたいに訪れる。そんなことを思うほど、できすぎたお正月だったのだ。
 わたしの中には、もうこの時、何か予感があったのだと思う。
 正直なところ、父のことが頭にあった。嬉しそうな父を見て、こんな時間も数えるほどしか残されていないのかもしれない……松の内が明けてすぐ、わたしはnoteというSNSにファミリーヒストリーを綴った。
 尾崎家のこと、そしてちゃあちゃん一家とのことをまとめておきたかった。SNSという場ではあったが、誰かに向けてというよりも、備忘録として記録しておきたかった。
 父よりもよほど元気だったので、ちゃあちゃんとの別れが先に来るなんて想定外だったが、やっぱり、という思いもある。胸のうちのどこかにあった、あの予感はこういう未来につながったのか……と。

 ところで、わたしは家の中でよく歌っている。家事をしながら歌うのが好きなのだが、たぶんこれは、ちゃあちゃん譲りだ。
 ちゃあちゃんもよく家事をしながら歌う人だった。
 好きなのはもっぱら演歌だ。家につけていたUSEN(有線)から流れてくる曲に合わせてハミングし、歌詞を覚えている好きなものなら高らかに歌った。なかなかの歌唱力で、聞き心地のいい歌声だった。
 歌いながら料理を作ったり、キッチンの床を拭いたりしている時のわたしの脳裏には、ちゃあちゃんの姿がちらついた。記憶の中のちゃあちゃんと自分を重ね合わせることで、時々、確認していた。
 今のわたしは、ちゃんと大人になれているのだろうか。
 あの時のちゃあちゃんみたいに、日々の生活を大事にできているのだろうか。
 わたしにとって、ちゃあちゃんは母性であり、お手本の大人であり、人生の大いなるロールモデルだった。
 そんな人に、この世ではもう会えないのか。
 たしかに淋しい……とても淋しいことだ。
 どちらかというと父性の役割を担っていた、変わり者の実母を亡くした時の感慨とはまた違っている。純粋に、ただただ淋しくてしょうがない。
 だけど、わたしは死後にも何かが続いていくと信じている者だ。
 きっとまた、どこかの世界で会えるだろう、と思っている。
 いつかわたしの人生の幕が閉じた時だろうか。その時には、今年のお正月の思い出話をしたい。
 ちゃあちゃんというゴッドマザーからつながった一族が、みんな幸福そうに笑っていた、あの完璧な一日を。

(ボイルドエッグズ所属時に公式サイトに掲載したエッセイです。)


実家の前。ちゃあちゃんと赤子のわたし

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