「神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。 変えるべきものを変える勇気を、 そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい。」 最近読んでいた漫画に出てきた有名な祈祷文です。漫画は普段あまり読まないのですが,なぜかひきつけられました。エンディングの描写が,ある意味衝撃的でこの週末ずっと頭から離れません。
夕べ「蜜蜂と遠雷」の映画版を見ました。登場人物の高島が言う「生活者の音楽」という言葉にすごく引っかかっています。私も彼ほど極端ではないですがピアノが好きで,でも才能に恵まれなくて,でも音大マグレ合格しちゃって,卒業しちゃった系の人生ですが,思考の過程であっても「生活者の音楽」なんて考えを持ったことは一度もなかったし,芸術(音楽)は絶対的なものであって,音楽は音楽。○○の音楽なんて分けられるはずもなく,ある意味誰に対しても平等なものだとずっと思っています。彼は物語の中で,それに
札幌市が実施したコロナ対策の公立中学校の分散登校で,一部の学校が男女別に登校させていたという新聞記事を見た。学校側は名簿に基づいて登校日や時間を指定したそうだが,いまだに名簿が男女別になっている学校が存在することに大きな驚きを覚えた。同業者目線で考えるとこれらの学校は「今までそうなってたから,特に問題はなかったから」という理由で昭和,平成,令和と混合名簿化の手間を避けてきたと思われる。この令和の時代に公立の学校で名簿を男女別にする理由はハッキリ言ってない。 ちなみに同じく札
今日の北海道新聞夕刊道南版にコロナウイルスの影響で台北線が休止になり函館空港の国際線が0になったという記事があった。まあ仕方ないよね。で,その後に「函館空港では台北に依存するのではなくバンコク・北京・天津に国際線拡充にむけて働き掛けている」という1文があった。まあバンコク・北京はわからないでもないが,なんで天津?姉妹都市だからなんだろうがほぼほぼ交流のない姉妹都市よりは,中国最大の富が集まる上海をどうして考えないのだろう?常識的に考えて函館のような地方都市と路線が成り立つのは