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【風紋 31】まぬけ日和

昨日帰ろうと思ったときにいつも通りポケットに手を突っ込むと、車の鍵がなかった。「車の鍵を無くしたかもしれない」という焦りは、まずカバンの中身を空っぽにさせる。ない。ポケットというポケットを弄る。ない。今朝モルックをした今や暗闇となった場所を照らす。ない。とりあえず車に戻って差しっぱなしかどうか見に行く。ない。そもそも、車がない。途方に暮れた。
「ああ、今日は徒歩で来たんだった。」
帰り際たまたま誰もいなかったので、その呟きは宙ぶらりんに漂っていた。とほほ。

そんなこともありながら久しぶりの散歩は、とてもいい通勤時間だった。
信濃町は『モモ』の作者ミヒャエル・エンデとゆかりのある土地ということもあり"失われた時間を取り戻す町"と謳っている。歩いているときは、まさにそんなことを感じる。
ちなみにミヒャエル・エンデが元々信濃町に縁があって、黒姫童話館に常設展示ができたと思っていた。そうではなく、童話館設立の際にその場を童話の聖地にするべく協力をお願いしたことから関係性が始まったらしい。こんな身近なことでも思い違ったことがあるのだから、今自分の中にある当たり前や常識なんてものは奇跡のバランスで一時的に保たれている刹那的なものにすぎないんだな〜と思い知らされる散歩。like a ピエロ。

ランニングの後遺症で膝がやられた。上り下りに差し掛かった途端「ピキーン」となる類の爆弾。野尻湖1周をしたときに設置され、この度ほんの1km走行距離を伸ばしたことで起爆。下り坂で声にならない声を出さないとやってられなかった。ランニングの楽しさに芽生えた途端というのが、いかにも自分らしくて微笑ましくもあった。日記はこういったことも残しておけるから、何が起こっても凪に戻せる。

眼球が痛い理由をとうとう突き止めた。3個持っているメガネの内1個のレンズがもう限界だった。これをかけている日だけ、昼過ぎから猛烈に眼球が痛い。膝と眼球という局所かつ、身体運動における重要なパーツの痛みと向き合いながら生きていくのはちょっと受け入れ難い。久しぶりにメガネを買おう。ちょっと遊び心のあるやつがいいな。

毎週楽しみにしているPodcast『流通空論』の先週からのゲストが敬愛する内沼晋太郎さんで、今週の回は"日記の時代"についてだった。そういえば、内沼さんのツイートを見て、無自覚だった日記への興味の傾きが加速していったんだった。今、日記を綴っているのもその日からの延長線上にある。あの日と違うのは、他者から滲み出てくる個人的な感覚と同等に自分からどんな言葉が湧き出てくるのかへの興味に日記の楽しみを見出しているところ。日記は自分の感性を失わないための行為。
ラジオの中で、「企業がど真ん中のビジネスではやりきれないビジョンを体現する場所として本屋を始めることが余白となりうる」的な話がとても面白かった。やっぱりLAMPにも本屋が必要だなと思うし、それをやるのは自分だなという自覚もある。頑張る。

そういえば他者と自分への覗き見を日々コツコツとしていたら、とってもありがたいお誘いをいただいた。まずお声がけいただけるということが、単純に嬉しい。何か形になるかもしれないので、またお知らせさせてくださいまし。

水穂珈琲さんに久しぶりに来て日記を綴っている。インドネシア マンデリンを注文。ジャズが流れる心地よい空間で飲む深煎り珈琲が好きだ。

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