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2021年を生きた今のこと、感情や思考の爪痕のようなものたち

年の瀬、忙しなく過ごしています。

新しい土地、新しい出会い、新しい感情、新しい言葉、
たくさんの新しさに巡り合って上書き保存されていくような日々を過ごすと、いざ1年を振り返ろうと思っても、その時感じたことをそっくりそのまま再現することはできないし、都合のいい解釈でその時の感情を消費してしまいそうな感じがする。

その、今や思い返すことができないけど確かにそこにあったものが積み重なって、今の自分が存在している。と、すれば、今自分が感じていること、考えていること、それがこの1年の全てなのではないだろうか。

ということで、今の自分の感情や思考に今年の振り返りをしてもらうことにしました。"今"のことを綴っていくと、まとまらないと思います。まとまってしまうと、分かりやすくなってしまうから。そんな分かりやすい1年でなかったことは確かな実感としてあるのです。なので、分かりにくいことを、分かりにくいまま残しておく。そうやってあげることが、自分が自分であり続けるための唯一の救いだと思っています。

誰のためでもなく、自分のための痕跡。

今より少し先の自分が読んだ時、確かにここにあったものを今の自分が掬い取ってあげていた証、として。

12/30現在、結構いい感じです。このように自分の感情に素直に向き合って、受け入れて、人の幸せを願うことができています。

少し前、具体的には数日前の自分では想像できないくらいに持ち直せている。今世紀最大級の孤独感に苛まれ、言葉通りのどん底を目に焼きつけていた数日前、もはや2日前まで。「らしさ」「こだわり」「愛」「言葉」そんなようなキーワード達にめったうちにされて。でも今は、それが必要な時間だったから、なるべくして底に、そこに、辿り着いたんだと思えているのでえらい。はちゃめちゃにしんどかったです、本当に。「心が壊れていく〜〜!あ〜〜!」×60000のような感じでしょうか。

自分の中に何も見出せなくなったことが、何より悔しかったし、自分が他者にとってあまりにも魅力がないことを痛感して、どうしようもなくなった。だからこそ、びっくりするくらい自分の在り方が明確になりました。

自分の中で決まったこと。
かっこいいと思うことをやる。
ダサいと思ったことをやらない。
美しいと感じたものを美しいと言う、愛でる。
分かりにくいものを分かりにくいまま表現する。
分かっていることを、素直に表現する。
言葉に向き合い、言葉以外を愛する。
対話をする。
こだわりをもって、全てを受け入れる。
自分の意識の外側の誰かに思いを馳せる。

一見相反するようなことでも、今の自分なら成立させることができそうな予感がしているんです。

中道。相反する2つの間に立つのではなく、その上から俯瞰して認めるスタンス。そこにこだわっていきたい。そのために、作品や他者との関わり合いの中で、偶発的に異なる視点と出会う。視点の獲得を積み重ねることが、豊かさに繋がることは既に自認していました。

今は、過去の自分が見落としていたことも、大事な人が教えてくれました。自分がこの世界をどう見てあげたいか。つまり自分の視点。

世界の見方が分からなくて、何かに偏るのが怖くて、
人の目を借りて世界を見ることを覚えた。
人の目を借りると、自分じゃ辿り着けない場所にいける。これもめちゃくちゃ大事なこと。流されるという選択肢は常に持っていたい。でないと、やっぱり何かに偏ってしまって、何も見えなくなってしまう。ちっとも面白くない。

そうでありながらも、自分はこう見ている、こう感じている、こうしてあげたい、自分の視点をもち持ち続けることもまた、豊かさに繋がることにも気づくことができました。

それは言葉で表現できるものもあれば、そうでないものもある。むしろ顔の皺のように滲み出るそうでないものに、人は惹かれる。だから言葉以外の表現方法をもって、自分を示していくんです。そうでないと、存在し続けることができない、という確かな実感。そのためにはとことん言葉と向き合い続ける必要があって、そこに何を見出すかが人生なんだと思います。今は。

自分の視点をもって世界を見ることができれば、あとは対話がしたい。対話は意味の共有。お互いが発した言葉の解釈のズレを限りなく無くすために、発された背景や文脈を探るための言葉を投げかける。その繰り返しが「対話」になる。対話を通じて、他者が見ている世界を見ることができる。自分の視点と増えていく他者の視点で世界を見ることは、知的欲求にとってこの上ない贅沢になるはず。本当の優しさはここが源泉になるんじゃないだろうか。

これまでも対話に飢えてはいたが、その飢餓感は自分の視点を持つことで潤される確信があります。自分の視点が自身の魅力を形成するから。魅力的な人と話をしたいと思うのは、至極真っ当な、人間に備わった本能だ。自分も例外ではなく、自分の知らない世界を見せてくれる人との対話にできる限りの時間を費やしていきたい。逆もまた然りだろう。

あとはなんだろうな。

人を愛することも知りました。あまり詳しくは触れません、が。これからも生き続ける限り向き合って、寄り添ってあげたい感情。人が人らしくあり続けるための確かな手触りが、愛なんだと今は思っています。咀嚼しきれないなぁ、愛は。

やっぱりサウナはいい。それに尽きる。
久しぶりに感じた「死にてぇ」を帳消しにしてくれたのもサウナだった。原点of原点。がんじがらめの思考から、否応なく感覚に身を委ねることができること、ありがたい。

そしてどうしようもなくThe Saunaはいい。心の底から1番いい。

嘘みたいにサウナも自然も美しい顔ばかりみせてくれるし、
自分が自分のままいることを許容してくれる人と環境がある。ありがたい。

あ、決めたことまだありました。

2022年は長野で信濃町でLAMPでThe Saunaでできることを、1番突き詰めて、やる。The Saunaのやりたいことが、今自分がやりたいこと、The Saunaのスタンスが、今の自分のスタンス。そこが明確になったのは、どん底に感謝してもしきれない、拍手喝采です。

だからこそ、もっと仲間たちと熱のこもった話を膝をつけ合わせてしていきたいな。やっぱり対話。できているようでできていなかったから、今のLAMPにとって絶対に必要なことだと思っています。明日話してみよう。

あぁ、とてもまとまってないので、いい感じだ。
誰にも受け止められず消費されるのが怖くて発せなかった言葉たちを、心の底に沈澱した感情を、丁寧に掬い取ってあげているから、「分からない」で投げ捨てる誰かがいるのも当たり前。ただ、自分だけでは絶対に受け入れてあげることができるから、こうして分からないもののまま、言葉にしてあげることが必要なんだと思います。

今の自分を形作る全ての何かに、愛を込めてありがとうを。

体温は36.6度、生きた温もりをここに残しておきます。


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