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エッセイ「電車が通るたびに家が揺れる話」など

 どうも、久々にエッセイを書いています。お湯です。
 誰が読むというような文章でもないですが、書く感覚を忘れないための日記として執筆しています。(ヘッダの画像は先日中野で撮った残り桜。)

 ずっと忙しくて更新できていなかったロンドンの旅レポを、最近、作業環境を変えたりして集中できる状態を整えたので、ゆるゆる続けているところです。
 本当は1〜2週間に一度上げていって、あと数編でさっさと完結まで持ち込みたかったのです。しかし、この間2時間半くらいかけた原稿がDropbox上で更新されておらずデータが吹き飛んでしまって精神がへし折れてしまったので、続きはもう少しかかりそうです。

 作業環境を変えたというのは、具体的には、これまで執筆はiMacかiPad Pro 10.5インチで行っていたのですが、思い切ってiPadをPro12.9のM1チップのやつに変え、純正のマジックキーボードを購入しました。
 iPadが新しくなり、またキーボードが変わってパソコンライクにiPadを使えるようになって、iPadの使い勝手が劇的に良くなったのは、執筆環境に非常に良い効果をもたらしました(「それなりの価格がしたんだ、費用対効果を上げなければ…!」という思いも強くありました(笑))。
 Macも優れたデバイスですが、いかんせん大画面でのマルチタスクが便利すぎて、動画やTwitterなんかを開いた日にはそっちに気を取られてあっという間に時間が経ってしまう、というデメリット(?)もあります。
 一方、iPadは開ける画面の数が制限されているので、使用用途によっては不便かもしれませんが、集中して作業したいときには目の前のタスクにのめり込むことができるので、執筆環境としては最高です。
 以前は「iPadかあ、できることがMacに比べて限られてるしなあ…」と少し使用が遠のいていたこともあったのですが、前述のように考え方を変えて、集中できるデバイスとしていまは大活躍してくれているところです。
 いまは資格の勉強や、あと僕は社会人による自主映画のサークルで制作活動を行っているのですが、企画書や脚本、マニュアルの作成、Apple Pencilを使った絵コンテの制作など八面六臂の有用性を見せてくれていて、ここまで酷使に耐えうるデバイスを作ってくれたAppleの人たちに感謝しています。センキュー、ジョブズ。センキュー、Apple社員の方々。iPad、おすすめです。

 ところで、いまの住居に引っ越して1年半が経ちました。前に引っ越しの話をエッセイで書いたような気もします。
 最近気づいたのですが、うちは線路に近い住居のため、電車が通るたびにえらい振動します。このごろ地震が多いですが、電車が通っているんだか地震で揺れているんだか、よくわかりません。ゴオーーーと、音もそれなりにします。通話をしていた友人なんかには電車の音がなにかのエンジン音に聞こえるらしく「もしかしていま空港にいる?」なんて聞かれたりします。
 最近気づいた、というのはたぶん間違いで、引っ越してきた当初は気になっていたんでしょうけど、そのうち生活と一体化して気にならなくなっていたのを、なんとなく再発見した、ということなのでしょう。
 たしかに電車が通るたびに家は揺れますし、それなりに音もします。駅から遠いわけでもなく、家賃がまあまあ安いのは、そういう理由もあるような気もします。それを煩わしいと考える人は、あえてこんなところに住んだりしないでしょう。
 でも、案外僕は、この数分に一回揺れたり音がする環境が気に入っています。
 電車とは遥か続く線路の上を走る乗り物であり、当然、終点や始発はありますけれども、どこか知らない遠くの土地へ繋がっている乗り物でもあります。その気になれば駅まで歩いていき、ひょいっと車両に飛び乗ることで、どこか知らない土地へ行くことができる。
 また、社会…というと大きな括りになってしまいますけど、自分以外の人々が生活している世界と、地続きであることを実感させてくれる。仕事や買い物、レジャーに出かけるなど、様々な目的を持った人たちが、ここではないどこかで暮らしており、目的に応じて、電車に乗っている。その需要に応じて、朝早くから夜遅くまで電車は走っている。そこに確かに「人々」がいるのだと、電車は教えてくれるのです。(僕は寂しがりやなので、どこかに他人の存在感のようなものを求めているのかもしれません。)
 そういう安心感を、電車の音はもたらしてくれます。電車から響いてくる振動や音は、僕にとってはそういう存在のように思えます。
 電車による家の振動は、ゆりかごほど快適とは思えませんが、それなりに心地いいものとして、僕はとらえています。じゃあ一生この環境下で暮らしていけるのか、と言われればそれはまた難しい問いで、「たとえば家を買うとしたら、もっと静かに暮らせる所がいいかもしれない」と答えるかもしれません。一時的な、仮の住まいだからこそ許容できている節は若干、あります(笑)
 でも、もっと静かなところで暮らすとしたら、かたちはどうあれ同居人が出来て、にぎやかに暮らせるようになったらだろうなとは思いますが。
 
 ※

 さて、久々のエッセイ(というか日記?)で予想以上に時間を食ってしまいました。
 またこのような形式の文章も書けたらいいですし、小説も書けたらいいなと思っています。うつ病の経過や転院の話、ロンドン以外の旅の話など、色々書けることはありそうです。でもまずは、ロンドンの旅レポを完成させるところからですね。
 がんばりすぎないように、がんばっていきましょう。

2022年4月17日

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